訃報

クレージーキャッツ植木等さんが亡くなられました。享年80歳。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

あれは就職活動中のことだから1989年。
自分の将来に煮詰まっていたワタクシは
ふとレンタルビデオ屋でクレージーキャッツ
映画『にっぽん無責任時代』を手にとった。
その頃ちょうど大滝詠一あたりによる
クレージーキャッツを見直そうブーム」があって
彼がプロデュースしたクレージーキャッツ
ベスト盤なんかも出たりしていた。
そして友人宅で観たその映画にまさに稲妻のようなショックを感じた。
「なんだ、この突き抜けっぷりは!」
クレージーキャッツといえば2〜3歳の頃には
確かまだTVで『シャボン玉ホリデー』をやっていて
「お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!」や
「おとっつぁんおかゆが出来たわよ」などのギャグに
よく意味もわからず笑った記憶はあったけど
89年頃にはもうほとんどグループとしての活動は
していなかったとオモワレ。
そのあとにドリフターズ漫才ブームがあって
そちらの洗礼をおもに受けて育ったワタクシとしては
ちょっと「過去のお笑い」というイメージがあったのだ。


ところが、面白いのだ。クレージーキャッツ。そして植木等
あの突き抜けっぷり。あのテンションの高さ。半端じゃない。
その後あれほどにテンションの高いキャラクターって出ただろうか。
寅さんもハチャメチャだけど彼には
常にどこかしらフーテンの哀しみがまとわりついている。
ところが植木等演じるキャラクター(「初等(はじめひとし)」だったり
「源等(みなもとひとし)」だったり)にはそんなもの一切なし。
どんな困難にぶち当たろうと「気にしない気にしない!」と
高笑いしながらガンガン乗り越えて行っちゃうのだ。
もう会社クビになろうが女に振られようがおかまいなし。
そして突然踊り出すし唄い出すし。そしてまたその唄が上手いし。
昭和40年代の最先端のモードがスクリーンの中で花開いて
植木等自身もスマートでスマシしていれば二枚目で
なんだかいろいろとメチャクチャかっこいいのだ。
観終わったあと就職活動に悩んでいたことがバカらしくなって
「そーのうちなんとか、な〜るだろう〜♪」
と商店街を唄いながらスキップしたくなっちゃうほどのインパクトだった。
お笑いであれほどのインパクトを受けたのは
あとにも先にもあのときだけだ。
「なんかスゴいもの観ちゃった」っていう感じ。


後年はドリフターズいかりや長介同様
俳優として非凡な才能を開花させた植木等だが
って最初っから俳優か。
いや、もとはバンドなんだよね。クレージーキャッツ
昔はミュージシャン→映画出演→総合的なエンターテイナーみたいな流れが
フツウだったんだよね。
グループサウンズとかの映画もけっこうあるし。
これってビートルズの影響なのか。
最近はあんまりそういう売り方見ないけど。


その植木等クレージーキャッツ
そして仕掛人とも言うべき青島幸男の才能および
彼が日本の芸能史に遺した足跡は
今見てもまったく色褪せていない。
それどころか彼らを超えるエンタテイナーが
その後どれだけ現れただろうか。
少なくとも植木等のあの突き抜けたキャラクターを
超えるテンションの人はいまだにひとりもいないんじゃないだろうか。
一時期、所ジョージがフォロワーになろうとしてたっぽいけど悲惨だったもん。
数年後に2時間ドラマかなんかで『植木等物語』みたいなのをやっても
所ジョージにはやってほしくないなあ。
脱力系の彼にあの「ぶわぁぁぁぁっと行こう!」は出来ない。
植木等のキャラクターはあくまでも
高度成長期のイケイケ的なノリから生まれたもので
けっして脱力キャラではない。
むしろ「イケイケ!どんどんイケ!もっとやれ!」という
団塊世代のモーレツ社員の延長上にある。
生真面目に働くことを高々と笑い飛ばしながら
自分もモーレツにしたたかに突き進むのだ。
その意味で彼もまた生真面目そのものなのである。
じっさいの植木等さんもものすごく真面目で紳士な方だったそうで
あのキャラクターをやるときにはずいぶん悩んだらしい。
そこから突き抜けた所で生まれたキャラクターが
やはり生真面目さと表裏一体なのは間違いない。
「無責任」はけっして「いいかげん・適当」ではないのだ。


今頃はハナ肇さんと天国で再会しているのだろうか。
ワタクシのようにリアルタイムで
クレージーキャッツを体験した訳でもないものが
こんなことをいうのも僭越ではありますが
心からご冥福をお祈りいたします。合掌。