プリンス『1999』

hacchaki2005-10-25

今朝はプリンスを聴きながら仕事場へ。
最近どうしているんだろう?プリンス。
今プリンスはなんて名前なんだ?
だいたい、“プリンス”って名前もずいぶんだ。
「王子」だからな。「鈴木王子」とか。あ、いるかも。
一時期、彼は名前が変な記号になって、呼びようがなかったり
「オレはプリンスって有名なアーティスト」って名前だったり。
(名前なのかこれ)
岡村靖幸に勝手にリスペクトされたり。
それは本人には関係ないが。
ある意味90年代は迷走していたなあ。プリンス。


ワタクシがプリンスに最初に出会ったのは80年代初頭、
伝説のロックTV『ベストヒットUSA』で取り上げられたときだった。
このアルバム『1999』の中からシングルカットされた『リトル・レッド・コルベット』がチャートインして
当時微熱少年だったワタクシはそのPVを観て衝撃を受けたのだ。
か、カッコいい!!
当時ファンクミュージックといえば
ああしんど&ふぁいあーとか二コール・リッチーのパパとか
ピーターパンシンドロームのMさんとか、スピーディー・ワンダーとか
あの辺だったのだが、あの辺がどういう括りで表現すればいいかわからないが
まああんまり自分的にはピンと来てなかったんですね。
いい曲もあるね〜くらいな感じで。
自分の中には16ビートを刻むクロックが存在しないんだって
ちょっとすねてみたりして。
プリンスの音楽的アプローチは彼らとは全然違っていた。
それはのちにチョーナルシストぶり発揮映画『パープルレイン』を観ればわかるのだが
プリンスの提示するファンクは非常に“密室”を感じさせるのだ。
類まれなる音楽センスによって妥協することなく完璧に緻密に構築された音の集合体。
電子音を多用しながら刻まれるリズムは非常にフィジカルでありながらも人工的で
しかもあまり16ビートを強く意識させない。
70年代の多くの白人アーティストが
ブラックミュージックへの憧憬を抱きながら紫の煙にまみれていたのと対照的に
どちらかというと当時のプリンスは
「ブラックから白人ロックへのアプローチ」を試みていたように思う。
プリンスは80年代初めに彗星のごとくわれわれの前に現れて
ファンク=テクノ=ロックの融合という新しい音楽の形を切り開いたのだった。
なんて堅苦しい話は抜きにしても・・・
単純にカッコよかったのよ、プリンス。
当時はよくマイケル・ジャクソンと比較されていたが
あんなピーターパン野郎の比じゃなかったねっ。
(いや、マイケルも嫌いじゃないっすよ。『イート・イット』とか)
また彼はマスコミに出ることが極端に少なく
“神秘的なアーティスト”というイメージを自ら作り上げることに成功した。
セルフ・プロデュース能力にも長けていた。
だから
「すでに一生かかっても発表できないだけの量の作曲を終えている。」
「東京ドーム数個分の広大な土地に巨大な自前音楽スタジオを持っている。」
「レコーディングは全ての楽器をひとりでこなしている。」
「実は身長が163センチしかない。」
などというまことしやかな噂が流れ
それがますますプリンスの神秘性を高めることとなった。
そういう意味でも子供の頃からマスコミに露出し続け
健康的なイメージで売って来たマイコーさんとは対照的だった。
(結局その健康的なイメージはのちに大ゴケするんだけど…)
マイコー=陽。プリンス=陰。
その陰な感じがまたカッコよかったのよ。
ちょうど
ビートルズ=陽。ローリングストーンズ=陰。
に似ているかな。


まあそんなこんなでプリンスはずっと大好きなんだけど
名前が記号になって以降のアルバムは聴いていない。
だってCDショップでなんて言って注文すればいいかわからないんだもん。
近年再び「プリンス」に戻ったみたいなので
また聴いてみようと思っている今日この頃だYO。


しかし最近は元“陽”のマイコーさんばっかり話題に上るが
(“陰”な話題でもなんとなく“陽”に聞こえるのは
マイコーさんのキャラクターのなせる業か?)
プリンス先生はいったい何をやってるんだろう?

1999

1999