唄に寄り添うもの…その1

hacchaki2006-07-11

まことにはずかしことだが
自分は今まで三線というものにあまり興味がなかった。
(ここでエーッとビックリするひとが何人かいるとウレシイ)
興味がないというか、唄うことに精一杯だったのだ。
それが大きい理由のひとつ。
それと、「沖縄民謡の主役は唄である」という意識が
あまりに強く、三線の音色まで気が回らなかったというのもある。
だから「三線やっているんですか?」と聞かれると
「いえ、沖縄民謡をやっているんです。そもそも沖縄民謡は・・・」
と、沖縄民謡における唄の重要性について最低30分は語るという
まことにやっかいな人格が形成されていた。


そう、確かに「唄三線」といって三線は唄に寄り添うもの。
であるからこそ、唄っている最中に
「ここでこのニュアンスが欲しい」
「ここでこういう音が欲しい」
という“唄い手”としての自分のニーズに
三線(と“弾き手”としての自分)は応えなければならない。
自分のレベルが(それなりに)上がってくれば
三線(と弾き手)に求めるものも(それなりに)高度になる。
この“唄”と“三線”あるいは“唄い手”と“弾き手”のバランスが取れて
はじめて「唄に三線が寄り添う」という理想的なアンサンブルが出来上がる。
そう、三線ってなかなか奥が深いのだ。


続きます世。