追悼忌野清志郎さん

hacchaki2009-05-04

キヨシローさんがあの世に旅立たれたことは
まだ気持ちの整理がつきません。
CDやDVDはいろいろ持っているのだけれど
聴いたら泣けてしまいそうなので
もうしばらくは聴けそうにありません。
本当に一曲一曲に思い出、思い入れがあるし
自分が生で観たライブのことやその当時の自分のことなど
思い出して感情が溢れ出てしまいそうになります。
テレビのワイドショーなどでお通夜の様子とかやっているみたいだけど
そういうのもなんかツライので観るのやめておきます。
ちゃんとした追悼番組的なものがあれば観たいけど。
RCサクセションの唄を口ずさむのも今はツライなあ。


今は三線抱えて沖縄民謡を中心に唄っているので
意外に思われる方もいるのかも知れないし
どうでもいいと思っている方もかなりいるでしょう(笑)。
だけどこの世で一番好きで、一番影響受けたミュージシャンです。
高校一年の夏、深夜のラジオから流れて来た
『スローバラード』の衝撃は今でも忘れられません。
それからの高校時代はとにかくRCサクセション一色だった。
行けるライブは全部行った。
夏の日比谷野音もクリスマスの武道館も行った。
おふくろを連れて行ったこともあった。
ときにはひとりで行ったし仲間とも何度も行った。
クラスの女の子に振られたときも犬の散歩の途中も
それこそ授業をサボって屋上に居たときも
いつもRCサクセションを聴いていたし口ずさんでいた。
キヨシローさんの言動にはいつも注目して
少しでもマネしたいと思って
今考えるとかなりハズカシい行動を取ったりもした。
ホントにハズカシいので言わないけど。
ホントにそのくらいすべてがカッコよくて大好きだった。
とくにキヨシローさんの歌詞を書くときの
言葉の選び方がスゴく好きで
これは現在オリジナル曲を作るときにも
かなり影響を受けていると思っています。自分では(笑)。
脱サラしてからずっと唇の下にヒゲ生やしているも
キヨシローさんの影響です。これホントウ。
ご本人は「レイ・チャールズのマネ」と言ってたっけ。


大学卒業とどうじに音楽から遠ざかってしまった自分が
沖縄音楽と出会い再び音楽を始めた頃
たまたまテレビで観たキヨシローさんのインタビューで
インタビュアーが
「今の若い人に音楽を通じて言いたいことは?」
的な質問をしたときキヨシローさんが
「歳を取るのも悪くない、むしろカッコイイことなんだぜ
って伝えたいです。」
と言っているのを聞いたとき
「おおおおお!これだ!これこそロックだ!!」
と全身がシビレたのをよく覚えています。
そのあとキヨシローさんは
「ホントはそんなことどうでもいいんですけど。」
って照れ笑いしてましたが。
その反骨精神ゆえに若い頃は「時代の反逆児」「過激な人」
的な取り上げられ方をされていたけれど
ご本人は非常に素直に、柔軟に、誠実に、ナイーブに
音楽と、人生と向き合って来られたんだなあと今あらためて感じます。


そしてそれこそがロックンロールだと。ブルースだと!


まかりなりにも音楽をやる人間のハシクレとして
あと100年、いや1000年生きたところで
とてもじゃないけれど追いつけないどころか
その距離を縮めることすらできそうにない
永遠に巨大な存在のキヨシローさんですが
せめてその遠い遠い遠い背中は追いかけ続けて行きたいと思います。


キヨシローさんと同じ時代を共有出来て本当によかった。
キヨシローさんの唄声に出会えたことを心から感謝します。
素晴らしい音楽を、唄声を、ロックンロールを、ブルースを
ありがとうございました。
これからもずっと聴き続けます。
あちらの世界でもどうかのんびりと唄い続けて下さい。
いつかまたゴキゲンなステージで
ワシらのハートをノックアウトして下さい。


心よりご冥福をお祈りいたします。


合掌。