きのうは三線教室であった。

hacchaki2004-02-19


三線教室という言い方は適切ではない。
沖縄における民謡はあくまでも「唄」なので。
三線は「唄」の調子を合わせるというか
「唄」を盛り上げるための脇役。
ここが津軽三味線と大きく違うところね。
津軽民謡は生活の苦しみや哀しみを
三味線にぶつけるがごとく弾きまくるが
沖縄民謡はあくまで「唄」メイン。
貧しさも苦しさも喜びも怒りも
すべて唄に乗せて表現する。
「言葉」をとても大事にする音楽であると言えます。
そもそも綿々と歌い継がれてきた唄がもともと島にはあったわけで。
そこに三線は後から入って来て
「お、こりゃ唄に合わせて弾いたらええんちゃうか?」
という風に「唄+三線」が始まったという歴史的成り立ちを考えると
やはり、「唄三線三線は唄に添えるもの」
という発想は正解なのです。
だから沖縄に行くと「民謡教室」「民謡研究所」という看板は
そこらじゅうで見かけますが
三線教室」という表現は見かけないです。


前置きが長くなった…
きのうは三線教室だったわけで。
初心者の方に『安里屋ユンタ』を教えました。
ていうか、もう半年以上やってるんだけど、その人。
ずっと『安里屋ユンタ』…飽きないか?
もうちょっとなのになあ、練習しないから忘れちゃうのよ。
沖縄民謡をやりたい!って思うのは
素敵なことだと思うけど
「沖縄民謡ってどんな曲があるんだろう?」とか
「沖縄民謡ってどんなこと唄ってるんだろう?」とか
って考える人が意外と少ない。
なんとな〜く沖縄っぽい旋律が気持ちよくて
なんとな〜く三線弾けたらよさげ・・・くらいの感覚。
入り口はそれで全然構わないと思うんだけど
早く次の曲をやりたい、もっと唄を覚えたい、
唄の意味を知りたい、と思うのが自然だと思うんだけどなあ。
唄の意味がわからないのに肝(ちむ)を込めて歌うなんて
できっこないのに。
知れば知るほどむずかしく、そして果てしなく奥深く面白いのは
どんな世界でも共通だと思うのです。
そこに行く前に「むずかしいからや〜めた」ってのは
一番もったいないことなんだな〜これが。



サー安里屋ぬ くやまによ
あん美らさ まりばすぃよ
マタハリヌ ツィンダラカヌシャマヨ



これが『安里屋ユンタ』の原曲の歌詞。
なに言ってんだかサッパリ判りません。
その「?」から好奇心の旅は始まるのです。