[雑記]弔電

hacchaki2005-03-14

祖母が亡くなった。
享年96歳。
大往生だと思う。
晩年の10年はボケて特養に入っていた。
2年前親戚で集まってお見舞いに行ったときは
ボケているながらも元気で
ワシがピアノを弾いてあげると喜んで聴いてくれていた。
特に戦前の歌などはちゃんと歌詞を覚えていて
2番や3番も歌うのだ。
「春のうららの〜♪」や
「緑の丘の〜赤い屋根〜とんがり帽子の時計台〜♪」などは
繰り返し何度も歌っていた。
人というものはボケてしまっても
10歳くらいまでに覚えた歌は忘れないんだ…と感心した。
と、すると35歳から沖縄民謡を唄い始めた自分…
歳をとってボケてしまったとき
いま一生懸命唄っているうたは全部忘れてしまうのだろうか…
などと考えたものだった。


それはともかく最後に会ったのは2年前なわけで
また会いに行こうと思っているうちにこうなってしまった。


祖母は東京の旧家から和歌山に嫁ぎ
和歌山に馴染むことなく(むしろ嫌いだったみたい…)
ボケてしまってからも江戸言葉で通した。
2年前に会ったときも、
「和歌山の人間は・・・」と文句を言っていた。
(和歌山の人ごめんなさい…)
大正、昭和、平成と激しい時代の流れを
小さいからだひとつで渡って来た祖母の人生は
いったいどう結論付ければいいんだろうか。
それはきっと本人のみぞ知るところなのであろうな。
おそらく、めいっぱい「生きた」。それがすべて。
幸も不幸もない。
そんな感じなのかな…。


「115」に電話して葬儀場に弔電を打った。
例文集を見たが「お悔やみを…」という感じの「沈痛感」ただよう言葉が多い。
大往生なんだし、「悔やむ」ことはないだろうと思った。
ご苦労様、ゆっくり休んでなと言いたかった。
「ご冥福をお祈りします」。
これでいいのだ。