[落語]古今亭志ん生

『大山参り』と『お直し』を聴く。
あ、家にカセットデッキがないからクルマで…。
『お直し』は志ん生の息子さんの志ん朝(故人)が演じたものを
ビデオで持っているのだが
聴き比べてみると親子であるふたりの違いがよくわかって面白い。
やはり、ソープランド街になる前の浅草吉原を
隅々まで知り尽くしている志ん生が作り出す空気感は圧倒的。
「けころ」という、花街の中でも下の下、
もう人間のどん詰まりみたいな掃き溜めの雰囲気。
そして、そんな所まで堕ちてもしぶとく生きていく人間のたくましさ。
そういったものが残酷に、滑稽に、30分ほどの時間にギューッと凝縮されている。
志ん生の笑いは、どん底の人間がギリギリのところで踏ん張って、
踏ん張りきれずに時には転んでしまう、そんなところの可笑しさにあるような気がする。
それも、見下ろして笑うのではなく同じ目線で。
そこには「知る者」だけが持つ冷徹さと温かさが同居している。
(この点で沖縄民謡で嘉手苅林昌さんが唄う
『ヒンスー尾類小(じゅりぐゎー)』などに共通するテイストを感じる)


志ん朝はもっとおだやかだし視点が優しい。
自分はそっち側にはいけないけど
そっち側の人間に、大いなる敬意を払っている、という雰囲気。
これはやはり育ちのよさ、というところなんだろうか。


まあ、なんにせよ久しぶりに志ん生が聴けて満足満足。
まだまだいっぱいあるのだ。