杉浦日向子『百日紅』

先日亡くなられた杉浦日向子さんの漫画作品。
彼女は早くに「漫画家引退(隠居)宣言」をされて
ここ10年以上、漫画のためにペンを執ることがなかったのだが
やはり改めて読んでみても優れた漫画家であったなあと思わされる。
本当に描き続けて欲しかった、漫画。
いや、そもそも漫画家というくくりで縛っていいものか。
江戸時代で言うところの「絵師」という表現が一番近いのではないか。
しかしながら「絵師」は現代の日本の漫画文化の出発点なのであるから
杉浦さんの漫画こそが「漫画のなかの漫画」なわけでもある。
いわゆる「漫画的表現」を極力抑え(漫符や擬音)
筆の運びやキャラクターの表情が作り出す絵の情感から訴える彼女の漫画は
江戸錦絵や浮世絵を観ているような気分にさせてくれる。
ネームもシンプルに、まさに生きている江戸人が会話をしているかのように
読ませる力量は、決して他の漫画家にマネの出来るものではない。
ひとコマひとコマ、そしてページ、本全体が「江戸」の空気が凝縮されている。
いや、杉浦さんの作品は江戸そのものなのだ。
彼女の作品は読む人をいとも簡単に江戸トラベルへといざなうタイムマシーンなのだ。


初期の作品はまだ画力も幼く、「漫画」としての稚拙さは免れないが
百日紅』『百物語』あたりの円熟期(というにはまだまだ早かったのだが)の作品は
本当にスゴイなあと思わされることしきりである。


この『百日紅』は天才浮世絵師・葛飾北斎
その娘でやはり優れた絵師であるお栄、そして居候の池田善次郎(のちの渓斎英泉)、
この3人を軸に、彼らを取り巻く人間模様を軽やかに描いた作品。
なによりも間がいい。テンポがいい。キャラクターがいい。
ひとつひとつのキャラクターに「江戸人」としての杉浦さんの思いが投影されている。
とくに池田善次郎、彼に杉浦さん自身が色濃く反映されているように今回思った。
いまだ才能の開花せぬ遊び人の絵師。
ふわふわと世渡りをしながらも、偉大なる北斎や、才溢れるお栄に
尊敬の念を忘れずいつも寄り添う善次郎。
彼の目線は江戸時代の人々を愛し、想い続けた彼女自身の目線に思えるのだ。


最近ずっとクルマの中で聴いている古今亭志ん生の落語を漫画にしたら
かくやと思われる飄々として語り口の中に
江戸という、少し前だけど現代人が忘れかけている時代を生きた人々の
息遣いや肌のぬくもり、それに街のざわめき、夜の静寂…そういったものが
ギューッと凝縮されているのだ。
やはり杉浦日向子さんはスゴイ。惜しい。惜しすぎる。


そういえば落語の話って漫画にしようとしたり映画にしようとしたり
いままで何人もの人が試みて来たがあまりうまく行った試しがない。
杉浦日向子さんが、もし落語の話を題材にして漫画を描いたなら
きっと素晴らしいものが出来たのではないか、と常日頃思っていたのだが。
読みたかったなあ。

百日紅 (上) (ちくま文庫)

百日紅 (上) (ちくま文庫)