こころがない。

ここに遊びに来てくれるtossyさんのブログ『レキオという奇病』
「神々の島と名高き久高島の木が切られた」という話が出ていた。
事件の概要は沖縄タイムズの記事を読んで詳しく知った。


まったくワケがわからん。
少しでも沖縄について関心がある人なら知っているであろう
久高という島の神聖さ。
それをなぜやすやすと同じ沖縄の人間が汚すのか。
しかも、なぜ中部のNPO団体がなぜわざわざ久高島に乗り込んで
勝手に“掃除”するのかもわからない。
「気を利かせている」つもりだったのだろうか?
他人の家に勝手に上がり込んで勝手に掃除して
その人には必要なものまで捨ててしまって自分はご満悦。
そんな図が頭に浮かぶ。
なんの権利があってそんなことをするのか?


ようするにやっていることに「こころがない」のだ。
自分のエゴで頭がいっぱいになった人間は
他人の気持ちを考えることなどできない。
そういう人間はつまるところ、自分の“こころ”も失ってしまう。
少しでも「思うこころ」があれば
他人のこころを踏みにじることなど出来ないはずだ。
久高島の人の気持ち。先祖の気持ち。神の気持ち。
想像してごらん?簡単なことさ。(BY『イマジン』タイマーズ)
簡単ではないかも知れない。
でもけっして出来ないことではないはずだ。


NPOやボランティアで立派な活動をしている人は沢山いる。
ホントにすばらしい人もいっぱいいる。
だが、そうでない人も残念ながら少なからずいる。
そういう人にも何人も出会っている。
そういう活動をしている自分を「偉い」と勘違いしている人もいる。
確かにいるのだ。恐ろしいことに。


自分自身もういい歳だし
ただ自分のためだけに生きてればいいってもんじゃないなあと
最近つくづく思う。
では何が出来る?
少なくとも「こころをなくす」ことだけはしたくないと思うのだが。