ジュリー!


最近クルマの中で沢田研二のベスト盤を聴いている。
カッコイイ!!いや、ホント。
沢田研二はワタクシの永遠のポップアイドルである。
カッコよかったもんなあ。
日本の歌謡シーンに「ロック」という概念を持ち込んだのは
ジュリーが最初だったのではないだろうか。
当時イギリスで流行っていたグラムロックのエッセンスを
お茶の間に持ち込み、メイクしたりギラギラの衣装を身に着けたり
果てはパラシュートまで背負って、ジュリーはヒーローだった。


ジュリーのスターとしての地位を確立させたのは
1977年のレコード大賞受賞曲となった『勝手にしやがれ』。
あの、途中で帽子を投げるやつね。
ホント、カッコよかったよ、キラキラしてたよ、ジュリー。
その行動がいろいろと物議をかもしたりしたのも
ロックっぽさに拍車をかけてカッコよかった。
唄がうまくて、カッコよくて、独特の毒っけもあって。
でもしゃべると京都弁でけっこう三枚目だったりもして。
なにをやっても人を惹きつける魅力があった。


でもあらためて楽曲を聴くと非常に強く感じることがある。
それは、オトナが聴いて耐えうる曲であるということ。
今巷に溢れている歌謡曲は、大体10代をターゲットにしていると言われている。
その辺の年齢がブームを作り市場を動かしているという
マーケティング的判断がそこに働いているからだ。
だからオトナが唄えるうた、少ないでしょ?カラオケとかで。
昔の唄ばっかり唄っているでしょ、オレタチ。
それは、単なる懐古趣味だったり
今の唄は覚えにくいとかいう話ばかりではなく
昔の唄は、ちゃんとオトナ向けに作られていたんだと改めて思うわけです。
文化がちゃんと「オトナのため」のものだった。


そう、70年代の歌謡曲はオトナのものだった。
オトナが聴き惚れ、オトナがレコードを買い、家で聴く。
歌謡番組が始まるとお父さんやお母さんがそそくさとテレビの前に座る。
で、オトナが聴いている歌謡曲を、子供が見よう見まねで唄ったりして
「お、こいつは唄がうまいぞ。」なんて誉められたりして。
そんな時代だったのだ。


ちなみに自分の記憶の中で最初に唄った曲はピンキーとキラーズの『恋の季節』。
1968年の彼らのデビュー曲なので自分は3歳。
その頃父がふざけてワシに酒を飲ませ
酔っ払って「恋の季節なの〜♪」と振り付けしながら唄った後
ぶっ倒れて救急車で運ばれたという話を聞いたことがある・・・。
それ以来酒が飲めない・・・ウソ。


今は「国民的歌手」とか「国民的アイドル」なんてものが
なかなか出現し得ない時代になっている。
おそらく「最後の国民的アイドル」だったのは松田聖子だろうなあ。
でもあの頃は、そういう「国民的・・・」が確実にいた。
オトナも子供もムチューでジュリーの真似をして帽子を投げていたのだ。
だから、ジュリーが唄った楽曲の数々は今聴いてもカッコイイし
ジュリーの魅力は色褪せることはないのだ。
(でも『Oh!ギャル』くらいからおかしくなって来ますが・・・)
だから今でもワタクシは胸を張って言えます。
「ジュリー最高!!」

ところで昨年のことだが
三線教室の帰りにサザナミさんと野毛の某蕎麦屋
蕎麦を食べていた時のこと、
隣に中年の男性と女性が座っていたことには気付いていた。
ふたりはやがて食べ終えて出て行き
あとから入ったワタクシたちもやがて表に出た。
店のドア閉めるなり
「隣、ジュリーと田中裕子だったね。」
とサザナミさん。
え〜っ!なんで言ってくれないのよっ!
「えっ!当然気付いていると思ったよ!!だってファンなんでしょ!?」


え、そ、そうです。ジュリー最高・・・(汗)。

俺たち最高

俺たち最高