「小指の痛みは全身の痛みである」

沖縄の友人が、沖縄タイムズに投稿記事を寄稿していたので
本人の許可を得て転載させて頂きます。

沖縄タイムス2005年5月15日付
[論壇]井下賢也「基地受け入れは暴挙 政治家に強く再考促す」

普天間基地の県内移設問題が連日新聞をにぎわしています。政府与党は「沖縄における米軍基地負担軽減のため」などとうそぶいていますが、私たち沖縄県民は、五月十五日を迎えるに当たり、今こそ本土復帰三十四年の歴史を総括し、政府の語る本質を見極めなければならないと思います。

私はかつて喜屋武眞榮参院議員(故人・祖国復帰協議会会長)の公設秘書として、国政の場から米軍基地問題をはじめとする沖縄の諸問題解決に取り組む立場にありましたが、当時の国会は沖縄の問題を委員会等で取り上げると「県知事に聞け」「いつまで高率補助に甘えてるんだ」などと与党委員席から心ないヤジや怒号の飛ぶありさまであり、日米安保の地域負担など自分たちには関係ないといった態度でした。

それでも質問を続ける喜屋武参院議員は私に「知らない人が悪いのではなく、教えようとしない人が悪いのだ」と言って、沖縄の心をひたすらに訴えていたことが昨日のように思い出されます。その後、沖縄の米軍基地問題を国政全体の問題として政府も本土マスコミも取り上げるようになったきっかけは、悲しいことにあの忌まわしい米兵による暴行事件が全国に知れわたってからのことです。このような経緯を知る私は、今回の県内移設問題だけはどうしても傍観することができずに、初めて新聞に投稿しようと思い立ちました。

その理由は、どういうわけなのか、どの新聞を見ても、またどの政党コメントを見ても、その移設方法の着地点ばかりが論じられているように見受けられ、県民世論が「もはや県内移設ありき」で話が進んでいるように感じられたからです。

歴史的に見て「今まで沖縄県民が自ら進んで基地を誘致したことは一度もない」わけで、移設先の受け入れ表明は、先の宝珠山発言に象徴される「やっと沖縄県民も基地と共存する道を選んだか」との間違ったサインを本土へ発信することになりかねないのだということを県民は知らなくてはなりません。

つまりこれは名護市だけの問題ではなく、沖縄全体の将来にかかわる重要な問題なのです。また、代償に提示されている経済振興策なるものは「共存を認めると最後にはなくなる(我慢させられる)」のです。地域格差の是正やそれに伴う経済振興は国民が平等に受けることのできるものであり、そこに政治の力量があるのであって、決して基地受け入れの代償として得るべきものではないのです。

「小指の痛みは全身の痛みである」という表現などで本土政府やマスコミに対し、沖縄問題を訴え続けていた先輩たちの苦労を知らず、今日やっと全国が沖縄の動向を注目しているというのに県民の代表たる政治家が、まるで国政の押し付け代理人のごとく基地受け入れを表明するなどという暴挙を、先人たちは果たして天国からどのように見つめておられるのでしょうか。

私は未来に禍根を残すことにならないように、いま一度県民の皆さんに対し、新聞紙面にてご提起申し上げ、責任ある政治家に再考を促したいと思います。
(宜野湾市・会社代表・40歳)

沖縄タイムズ
2006年5月15日の論壇