おとな天国

このところなんかスゴイッすね。ニュースとか観てると。
いったい世の中どうなっちゃってるんだろう。
なかでもこのところ目立つのがこどもがらみの事件。
こどもが自ら命を絶つとかこどもが親を殺すとかこどもがこどもを殺すとか。


で、おとなの世界を眺めるともっとすごい。
隠すおとな。
だますおとな。
言い逃れをするおとな。
陥れるおとな。
ごまかすおとな。
ウソをつくおとな。
殺すおとな。
逃げるおとな。
そんなのばっかり。
「こどもはおとなのかがみ」だもの。そりゃこどももおかしくもなりますって。


朝のワイドショーで偶然観たんだけど
福岡のいじめ自殺事件後の、あの校長の生徒への説明会の音声は正直吐き気がした。
「三○中のみなさんは、素晴らしいんです。」
その“素晴らしいみなさん”に囲まれていながら
少年はナゼ自殺しなければならなかったのか?
「彼は亡くなってしまいましたが、それはもう仕方がないことです。」
・・・絶句。
なんであんな猫なで声で、上っ面なことしか言えないんだろう。
こどもへの配慮?コビヘツライにしか聞こえないのだが。
あんなセリフでごまかせるほど、こどもはバカじゃない。
こどもってかなりしたたかにおとなのこと見ている。しっかりと。
自分がこどもだった頃を忘れたのか?
一番こどもたちに近い「学校」という場所にいながら。
なんで「いじめがあった」と言わないのか?
なんで「先生が原因の発端となった」と言わないのか?
なんで「いじめた生徒も悪い」と言わないのか?
なんで「その体質を必死で正す」と言わないのか?
まったくわからない。


人間は間違える。間違えないのがもちろん理想ではあるが、
正しいことをやっているつもりでも、どうしても間違える。
問題はそこで人はどう行動し、どう反省し、次に生かすか。
ちゃんと反省し、その反省に基づいて行動しない限り
まったく事態は改善されない。
「ちょぉ〜っと、手を抜いちゃいました。」
なんて言ってるようでは何も変わらないどころか・・・。


数年前、我が永遠のカリスマロッカー忌野清志郎氏が歌番組に出ていて
ちょうど50歳だかの誕生日を迎えたばかりであるキヨシローさんに司会者が
「今の若者たちにどんなことを伝えたくて歌ってるんですか?」
なんてヘンテコな質問をした。
キヨシローさんは例のはにかんだような、照れくさそうな顔で
「歳を取るのもカッコイイことなんだぜっていうことを伝えたいです」
って言った。そのあとすぐに「まあどうでもいいんだけど」と付け足した。
ああ、もうカッコいいよ、キヨシローさん。


「歳を取るのも悪くないぜ」
「おとなになるってカッコイイことなんだぜ」
こう胸を張って言えるおとなが、今どれだけいるだろう。
「こんなおとなになりたい」
「あのおっさんみたくカッコよくなりたい」
って、そう思えるおとなが、こどもたちの身近にどれだけいるだろう。
そんなカッコイイおとながいっぱいいれば
こどもたちもちゃんと希望を持っておとなになれると思うんだけどね。
テレビニュースに出てくるのは、ショーモナイおとなばっかり。
あんなコーチョー見ててこどもたちはどう思うか。
「おとなのせかい」に希望を持てるか。


鑑みるに自分はどういうおとなになっただろうか。
かなーりアヤシゲーなおとなであることは間違いないだろうが、
少なくともヤツラみたいなのはイヤだなあ。
「つまらないおとなにはなりたくない」
1982年、佐野元春は『ガラスのジェネレーション』の中でそう叫んだ。
そこ声に当時の紅顔(厚顔)の微少年(by開高健)はシビレた。共鳴した。
そうだ!つまらないおとなにはならないぞ。微少年は誓った。


そして自分は今、「つまらなくないおとな」だろうか。
どうなのよ?自分。はい、これは宿題です。