『硫黄島からの手紙』

hacchaki2007-01-11

1/2に鑑賞。
自分の精神状態がボロボロなときに鑑賞したので
周りに恥ずかしいほど号泣してしまいましたが
普通のときに観たら多分泣かなかったのではないかとオモワレ。
それは映画のできがどうこうではなく
硫黄島で現実に起こったであろうことを
出来る限り淡々と、非ドラマチックに描こうとする
クリント・イーストウッドの演出ゆえに。
この映画を観ながら一番に思ったことは
クリント・イーストウッドという監督の作品に対する誠実さ。
当時の日本人をよく研究し、誠意をもって演出している。
セリフ回しとか、たまにアレ?と思う所もあるけどそれはご愛嬌ってことで。


作品の中で主人公の二宮君だけが現代っ子風の役作りで
はじめは違和感があったけど
その分観客は二宮君視点に感情移入しやすいのかなと好意的に解釈。
世界のKEN WATANABEはもちろん存在バツグンだが
「なにをやっても渡辺謙に見えてしまうスパイラル」に陥っている感あり。
途中で『ラスト・サムライ』に作品が変わっても気づかないんじゃないか
と誰かがレビューで書いていて笑えますた。


ただ多くの人が「戦場の悲惨さの疑似体験」をしたように述べていたが
ワタクシ的には「ホントの戦場はこんなもんじゃない」
というのが常に頭の隅にあった。
もっとえぐいしもっと残酷だしもっと不潔極まりないはずだし
もっとおぞましいしもっとグロテスクなはず。
これは他の戦争映画を観てもつねに思うことなんだけど。
その意味でやはり映画は作りものだし現実は超えられない。
でも無理に超えようとする必要はなくて
「現実はこんなもんじゃない」と思わせてくれるだけでも
この映画が製作された意味はあるのではないか。
ほんの60数年前に、彼らは確かに存在した。
若い命を戦争と言う悲惨な事態の中に身を置きそして散らして行った。
そのことが実感できただけでもこの映画を観た意味はあった。
あと「手紙」とタイトルについているわりには
映画の中で手紙の存在感が薄いのは気になりました。
あと中村獅童の存在理由もよくわからなかった(笑)。


と言うわけで、ワタクシとしては
クリント・イーストウッドの映画陣としての誠実さを
改めて評価して敬礼。
友人S氏は彼のブログ『きみたち、』で酷評していますが(笑)。


※ブログ『きみたち、』http://kimitachi.sblog.jp/