慰霊の日

hacchaki2009-06-23

6月23日は「沖縄慰霊の日」。
一般的に「沖縄戦終結の日」と
思っている方が多いようですが
それは正確ではありません。
では1945年のこの日、沖縄で何が起こったか。


この日は沖縄守備軍の最高幹部である
司令官牛島満中将及び長勇参謀長が
摩文仁司令部で自決した日です(22日説あり)。
死を決するさいの、最後の命令として牛島中将は
「…各部隊は各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」
(文の実質作成は長野作戦参謀、最後の一文を加えたのは長勇参謀長)
すなわちけっして降伏せずに「最後の一兵まで戦え」と
徹底抗戦を命じました。
また指揮系統の破壊により司令官自決の事実や
大本営発表が前線に明確に伝わっていなかったことなどにより
6月23日以降も徹底抗戦は続き
それにより多くの一般県民および日本兵、米兵が命を落としました。
生き残り部隊の将兵たちが米兵に最終的に投降するのは
8月15日のポツダム宣言より2週間後の8月29日であり
最終的な沖縄守備軍と米軍の降伏調印は9月7日です。
その意味で沖縄戦の最終的な終結は9月7日であり
実際「慰霊の日を司令官自決の日」に定めることを
疑問視する見方もあるようです。
実際沖縄市では「慰霊の日」を休日とする一方で
9月7日を「市民平和の日」と定めているそうです。
(参考:wikipedia


沖縄戦で亡くなられた多くの方々のためにも
慰霊の日、すなわち6月23日に「何があったのか」が
そのあと沖縄がどのような苦労を強いられたのかが
正しく広く伝えられて行くことを望んでやみません。