日本復帰40年と阿波連くん

hacchaki2012-05-15

本日は、沖縄日本復帰40年の日。


日本復帰といえば
小学校2年のとき本土復帰とほぼ同時に
千葉県習志野市の小学校に通う自分のクラスに
はるばる沖縄から転校してきた阿波連くんを思い出す。


当時、沖縄が何処にあるのか
習志野からどのくらい遠いのか
日本に復帰するということがことがどういうことなのか
全然理解していなかったけれど
彼こそが、僕にとって初めての「沖縄」体験だった。


彼は色が黒くて無口で
いつもニコニコ笑って足が速かった。
沖縄の人は皆、足が速いんだと思った。
彼が無口だったのは
当時は単純に彼の性格か
転校という緊張によるものだろうと思っていたが
今にして思えば言葉や文化の違いに対する
戸惑いも大いにあったのだろう。
そんなわけで自分の中では長いこと
「沖縄=阿波連くん」だった。


10年ほど前クラス会があって
阿波連くんと中学卒業以来数十年ぶりで会った。
その頃バリバリ重度の、
しかもかなりウザイ(笑)沖縄病患者だった自分は
阿波連くんと沖縄の話が出来るのが
楽しみで仕方がなかった。
ひさしぶりに会った阿波連くんは
相変わらずニコニコと笑って、そして色黒だった。
ただ、よくしゃべるおっさんになっていた(笑)。


田所  「いや〜オレ、今沖縄にハマッててしょっちゅう行ってるのよ!」
阿波連 「オレ、転校して来てから1度も沖縄行ってないんだよ〜。
     沖縄ってやっぱ暑い?」


阿波連くんと僕との沖縄トークは終了した・・・。


そんなわけで千葉在住のフツーの
気のいいおっさんになった阿波連くんだが
相変わらず足は速くて子供の運動会のPTAリレーでは花形ランナーらしい。
その話を、阿波連くんと同じ学校に子供を通わせる
同級生から聞いたときなんだか嬉しくなった。
「ヒーロー健在!」
そんな気分だった。
そして40年前、ほこりっぽい小学校のグランドで
めちゃくちゃ足の速かった阿波連くんが思い浮かべた。


今日も、あの日のはにかんだ彼の笑顔を思い出した。
これからも、5/15になると
彼のことを思い出すんだろう。
いくつになっても僕にとっての初めての「沖縄」、
そして「日本復帰」という言葉を印象付けたもの、
それはやっぱり阿波連くんなのだ。


いつか子供を連れて沖縄に“里帰り”したいと言った阿波連くん。
あれから沖縄に行っただろうか。