友がゆく。

hacchaki2014-10-13

10/11(金)の朝
友が旅立ちました。
享年40歳。若過ぎる旅立ち。
彼とはFBを通じて知り合いました。
沖縄が好きで、三線が好きで
それがきっかけでした。
とても人懐っこくて
「たどさん、たどさん」
と慕ってくれました。
秋田に住んでいて
そうそう会える訳はないし
実際に会えたのは数回しかないけれど
とても印象深い男でした。
重たい病を抱えているのは聞いていたので
「あまり無理するなよ」
と声をかけていたのですが
彼は時間を惜しむかのように精力的に動き回り
会いたい人に会い、行きたい場所に行きました。
本当にピュアで、その体型のように丸く優しい男でした。


早く逝く人はなぜ皆行き急ぐのだろう。
自分に残された時間を知っているとでも言うのだろうか。


自分が秋田に、彼に会いに行ったのは
彼が最後の入院をしてからのこと。
抗がん剤治療の合間で
比較的元気な彼と
病院の面会室で数時間話をしました。
「頑張れ」
なんて気軽に言えないけれど
治療を乗り越えて
元気になってほしい。
そんな思いでいろいろなことを話しかけました。
食べ物の話ばかりしていたと
あとで嫁さんに怒られましたが……。
帰り際握手をした手は
彼の穏やかな性格そのままに
温かくて柔らかだった……。


そのあとは再び抗がん剤治療に入り
こちらからは一方的にFBメッセージを送り続けました。
闘病生活の中、返事をする気力はなくても
必ず「既読」にはなっていました。
読んでくれていたのかな。
少しは気晴らしになったかな。
それが9月半ばくらいから
読まれている様子がなくなり……。
それでも勝手にこちらの近況など
送りつけていたのですが……。


ヒロ、
キミに会えて本当によかった。
いつも気にかけてくれてありがとう。
キミと接することの出来た時間は短かったけど
本当に「友」と呼べる存在です。
いや、そう呼ばせてね。
最後まで頑張ったね。
キミは病気に負けたんじゃない。
ただ、解き放されただけなんだと思う。
本当に本当に、お疲れさまでした。
今は窮屈な肉体と厄介な病から解放されて
「楽になったよ〜」
と笑っていてくれたらいいなあと
心からそう思います。
キミが僕のオリジナル曲『生きて生きて生きるのさ節』を
自分のテーマソングだと言ってくれたのは
僕の一生の誇りだよ。


友よ、またいつか会おう。