『青い車』

渋谷シネ・アミューズにて

青い車

某サイトのレビューでこの映画に怒っている人がいました。
僕は怒るほどではないけど、かなり腰砕けになりました。
怒らないで済んだのは、宮崎あおい麻生久美子があまりにも素敵だったから。
以下感想を書くよ。

○カメラワークが『中学生日記』みたいでなんの映画的工夫も感じられず萎えた。
あまりにも平べったい、プロの仕事とは思えない雑な画面作りが最初から気になった。
ただしオープニングの首吊りのシーンは好き。

○とくにクラブのシーンやライブのシーンなど、ダサダサで腰砕け。
狙っているのかなと思ったけど、
他のシーンもかなりやばいところを見るときっと違うな。

○車の事故シーンなど、教習所で見せられる映画かと思ったよ。

○オラのリチオはこんなんじゃねーと思った。
それはARATAくんが悪いのではなく基本的な設定の問題。
(いや、ARATAくんの演技も正直問題あると思うが…)
漫画のリチオは阪神大震災で死にかけた設定。
「生きてるだけでラッキーと思った」という台詞のは、だから生きる。
痛々しく突き刺さる。記憶にないような子供の頃に事故にあって…
という映画の設定では、あの台詞はマッチしないと思う。
漫画のリチオの虚無感、と映画のそれとのズレが気になった。
もちろん映画は映画で独立したものでよいと思うんだけど。
それともあまりにも原作に思い入れあり過ぎなワタシがいけないのか。

田口トモロヲってすごく評価されてるけど、オイラはダメだ…。
いかにも演技してますという感じが馴染めない(涙)。

○だいたい漫画の『青い車』はカローラだった。
映画ではコロナになっている。
それがなぜなのか?設定を変えるのは悪いとは思わない。
でも「なぜ」コロナにしたのか?は知りたいと思う普通。

宮崎あおい&麻生久美子はホントによかった!
ああ、このふたりが同時にスクリーンで拝める幸せ…(はぁと)。

でもさ…
○「でも、苦しいよ。チクチクするんだ。」っていう台詞は
あまりにもとってつけたようでない?
原作の(また原作と対比させてゴメン)このみはけっこうボーイッシュなんだよ。
口元がキリっと引き締まっていて、目には力があるような、女の子。
宮崎あおいの雰囲気とは違うんだよ。
宮崎あおいが悪いっていうんじゃなくて
ここは台詞を変える勇気があってもよかったんじゃないかと思うのです。

○要するに声を大にしていいたいことは
「こんなの『青い車』じゃな〜い!」「俺の知ってるリチオはこんなんじゃな〜い!」
ということなのでした…(涙)。

まあ感じ方は人それぞれでせう。
一緒に行った女友達は号泣してましたから…。