琉球フェスティバル

いや、行かなかったって話で。
とりあえず雨に合わずによかったですね、
ってきのうあったんです、日比谷野音
行かなかった理由は
出演者の半分がヒップ・ホップやJポップ系の
今風の音楽(って言い方もどうかと思うね、自分ながら)で
占められてしまった琉球フェスティバルは
自分の中にある琉球フェスティバルのイメージからは
ずいぶん遠く離れてしまった気がするからで。
そういった今の時代の音楽を否定するつもりはまったくないし
自分だってふだんは聴くんだけれども
自分は琉球フェスティバルで聴きたいとは思わないんだなー。
琉球フェスティバルってそんなんだったっけ?って思ってしまう。
じゃあどんなんが琉球フェスティバルなのさって聞かれると
困ってしまうんだけれど。
普段なかなか内地に来れない沖縄ならではの唄者
もっとたくさんいるであろうに。
もっと取り上げるべき優れたミュージシャンが
沖縄にはいっぱいいるんだのに。
内地に渡って長いこと故郷を思いながら頑張って来た
おじぃやおばぁが喜んでくれるイベントだったはずなのに。
そう思うとどうにもやり切れなくなってくるのです。


5〜6年前に初めて行った琉フェスはそんな素敵なイベントだった。
老若男女の関東在住うちなんちゅや沖縄ファンのナイチャ−が
大雨の中入り乱れて踊りまくっていた。
今回の出演者の顔ぶれで果たして
うちなんちゅのおじぃやおばぁが喜んでくれただろうか?
そこんところがとっても心配なのだ。
ほんの3年くらい前までの琉フェスは違ったんだけどなあ。
まあこれも時代の流れなのでせうか。
大阪の琉球フェスティバルは出演者が充実していて
そっちに行きたいなあ。


自分が行っていないイベントのことを憶測で書くのはよくないと思いますが、
あくまで自分の勝手な「琉フェスへの思い」で書いているんで。
楽しんだ方もたくさんいらっしゃるでしょうから、気にしないで下さいませ。
実際に行ったエイサー会のFちゃんから来たメールに
「不完燃焼〜」と書かれていたのは
何を意味するものなのか、気になるところではあるが。
自分とは視点が違うのかも知れないけど。
  

  唐ぬ世から 大和ぬ世
  大和ぬ世から アメリカ世
  ひるまさ変わたる くぬウチナー

        沖縄民謡『時代の流れ』


時代はさらに何処へ流れていくのだろうか?


  川は流れて 何処どこ行くの?
  人も流れて 何処どこ行くの?


        喜納昌吉『花』