まったり旅行記9…牛おーらせー

あまりにもスローペースなため
なかなか進まない旅行記ですが
まあ、まったりといきます。
でもこれが終わるまで他の事が書けないんだよねえ。


で、牛オーラセー。
3日目は日曜日。日曜日といえば牛オーラセー、つまり闘牛。
沖縄ではそう決まっている。
と思いきやKいわく
「闘牛見るのなんて、沖縄でも年寄りばかりだよ。」
と。
なに〜、あんな面白いものを。
ということで3日目は闘牛観戦デー。
場所は読谷の『むら咲き村』の中にある「むら咲き村闘牛場」。


Kが「モーニングはA&Wでモーニングセットを食うべし」
というので“エンダー”(地元の人はA&Wをそう呼ぶ)へ。
日曜朝の“エンダー”はすでに家族連れで混んでいた。
SCRAPSさんの“思い出の味”ルートビアはあえて頼みませんでした。
Kはガブガブ飲んでいたが。
ルートビアは嫌いではないのだが
“朝から炭酸”というのがキツかったのだ。


Kとは久しぶりの再会なので前日から引き続き
いろんな話で盛り上がった。
なんやかんやと昼近くまで話し込んでしまったので
彼と別れて一路読谷へ向かおう…と思ったんだけど
そばでも食べておこうと。
せっかく宜野湾にいるのだから
M代から教わった「海が見えるそば屋」というのに行ってみようと。
ナビに導かれてたどり着いたお店は文字通り海っぺりにあるそば屋で
おしゃれな喫茶店、といったお店の様子がそば屋らしくなくて新鮮だった。
「とろ煮ソーキそば」とぜんざいを注文。
そばはスープがさっぱりとしていて食べやすかった。
もうちょっとパンチがあってもいいかな〜。
ぜんざいは美味しかった。
沖縄のデザートといえばやはりぜんざい。
新垣ぜんざい店でありつけなかったのでとても嬉しい。
窓から見える海を堪能しながらのそばタイム。
これで天気がよければ最高なんだけどね。


むら咲き村闘牛場は体験型テーマパークむら咲き村の敷地内にあった。
判りやすい場所でよかった。
地方の闘牛場だと、なかなか場所が判らなかったりするのだ。
むら咲き村のなかに作られた古い沖縄の風景を模した小道を
5分も歩くと闘牛場があった。
すでに出場牛は到着していて
トラックの荷台から下ろされようとしているものや
すでにつながれて戦いの時を待つものまで
異様な熱気がこちらに伝わってくる。
観客は雨のため、出足が鈍かったが
始まる頃にはいっぱいになっていた。
「年寄りの見るもの」とKは行ったが、読谷という場所柄か
けっこう若い人も多い。
古堅(「ふるげん」と読む。ずっと「こけん」と読んでいた)中学校女子ソフト部が
九州大会に出場するので、その旅行資金の寄付を募るというチャリティー大会だったので
ソフトボールのユニフォームに身を包んだ可愛い部員たちの挨拶があって
いよいよ闘牛のはじまりはじまり。
(ちなみに闘牛の入場料は3000円。意外に高い。そのほかにカンパとして
2000円募金箱に入れたのだ!)


沖縄における闘牛の歴史は社会的に認知された時期としては明治後半頃が最初らしい。
それまでにも行われていたのであろうが
個々の楽しみ、というレベルであったのだろうか。
第二次大戦の前後に一度完全に途絶えてしまうのだが
戦後の復興とともに復活。各地にあった闘牛の組合を統合して
現在の闘牛興行制が確立している。
真冬の数ヶ月間を除けばほぼ毎週日曜日、県内のいずれかの闘牛場で
牛たちが熱い戦いを繰り広げている。


「ヒヤッ!」「ヒヤッ!」
闘牛士(勢子)の勇ましい掛け声で闘牛が始まる。
牛に手をかけることはあっても、ムチで打ったりという手荒いことはしない。
あくまで牛の「やる気」に任せる。
そして片方の牛が完全に戦意を喪失した時点で勝敗が決まる。
決して深追いはさせないし、なるべく相手に怪我をさせないように
勝負が決まった時点でパッと止めさせる。
それでも勢い余って相手の牛を殺してしまうこともある。
そういう試合を見たこともある。
今回も相手のわき腹に角を突き刺して穴を開けた試合があった。
「ああなったらあの牛はダメだな。」
と横で見ているおっさんがつぶやいた。
牛舎に帰る道には牛の鮮血がしたたり落ちていた。
牛の戦意に任せるわけだから試合が長びくこともある。
30分以上にらみ合いなんてこともある。
勝負がつくまで牛追いは根気よく牛をけしかける。
「ヒヤッ!」「ヒヤッ!」
勝敗がつくと牛主が牛に飛び乗ってカチャーシーしたりする光景が
ときどき見られるけど今回はなかった。
それでも技が入って勝負が決すると場内は沸き立つ。
勢子の掛け声が空に溶けていく。
沖縄ならではの時空間である。