『ヨコハマメリー』を観る(横浜ニューテアトル)

hacchaki2006-05-05

ヨコハマメリー』を観た。
観たというより「横浜メリーに会った」と言ったほうが的確かも知れない。
そのくらいスクリーンの中のメリーさんは圧倒的だった。
メリーさんだけでなく出て来る人すべてが
それぞれに圧倒的な存在感を持っていた。


「横浜のメリーさん」は、自分が横浜に来た頃にはすでに伝説だった。
自分が横浜に来たのは1997年で、そのときすでに
メリーさんは横浜から消えていたのだ(1995年まで横浜にいた)。
だか、伊勢佐木町あたりで青春を送った人なら誰でも一度や二度
メリーさんを見かけたことがあるという。
横浜に越して来て情報誌で仕事をするようになってから
メリーさんの話を聞いて、少しインターネットで調べたりしていた。
でもその頃すでに伝説となっていたメリーさんは
なかなかその実体をつかむことが出来なかった。


それがこのたび中村高寛という弱冠31歳の青年によって
ドキュメンタリー映画になったということで
「これは観てみたい!」と思ったのだ。


映画は、紛れもなくメリーさんのドキュメンタリーだったが
同時に、横浜そのものの戦後史であり、昭和という時代の検証でもあった。
そしてメリーさんと関わった人間、戦後昭和という時代を生き抜いた人間の
「血と涙の」なんて陳腐な言葉では言い表せないほどの、迫力の人生史であった。


メリーさんはいわゆる戦後の「パンパン」(米兵相手の娼婦)で
やがて時代に取り残されて街の片隅に置いてきぼりにされた
他人から見たらどうしようもなくみじめな「負け組」だ。


ところが映画を観進めるにつれて
「あれ?そうなんだろうか・・・。」という気持ちになり
そしてそれはエンディングである確信に変わる。
それがなんなのかは、是非映画を観て下さい。
ホントにびっくりします。泣けます。


この映画は、人生を淡々と誇り高く生き抜いた、ある人間の人生賛歌だと思う。
メリーさんの人生をいたずらに美化することは危険であると思う。
でも、それでもなお、「人生って悪くないなあ」と思えるラストが待ち構えている。
メリーさんはただ、「自分の人生を生きた」のだろう。
その「ただ生きる」ことの凄さがスクリーンを通して、
語り部でありメリーさんを支え続けて元次郎さんというシャンソン歌手の目を通して
圧倒的な迫力で観る者に押し迫って来る。
その迫力は、いかなるフィクションが束になってかかっても
到底叶うことのないリアリティを持って観る者の胸に突き刺さる。
元次郎さんを始めとする、メリーさんの、横浜の、そして昭和の証言者たちの言葉も
それぞれに生々しく、凄みがある。
みんなそれぞれに「ただ生きた」だけなんだろう。
その、「ただ生きる」ことのすごさ、
それがこの映画の一番のメッセージなんではないかとすら思える。


まあ、ホント、こういう映画はワタクシのような者が御託並べるより
皆さんが御覧になってそれぞれにメッセージを感じ取れば良い。
メリーさんの、横浜の、ハマッ子の、戦後の、昭和の
生々しい息遣いを是非スクリーンで。


余談ですが3時の回に観ようとしたら7時まで観れなかったほどの大盛況ぶりです。
この分だとロングランか拡大上映になるだろうけど。
連休中はトークショー&レイトショーが行なわれていて
山崎洋子さんと監督のトークセッションが聞けたのはラッキーだった。
監督は次回作は「横浜根岸」をテーマにした
ノンフィクション+ドラマを考えているらしく
こちらにも期待したい。
しかし31歳で、やるねえ。