“趣味”とはなにか

hacchaki2006-08-05

以前わずかな間だか市民講座のデッサン教室に通っていた。
30歳目前で5年間勤めた大手自動車メーカーを辞め
「マンガ道」に入ろうとしていた自分だが
あまりの画力のなさに「これはヤバい」と感じていた。
そもそも30歳にもなってその道に進もうとすること自体無謀だし
その時点で画力がないことに気づくのも痛い、痛過ぎる(涙)。
でもまあ思い立ったが吉日だし、会社も辞めちゃったし(笑)。
(そのへんの話はまたいつか詳しく)
それまでまったく人から指導を受けたことがなかったので
「今やっとかねば」という気持ちで申し込んだのだ。


そこで出会った先生がとても素晴らしかった。
もうお名前も忘れてしまったけど。
デッサンとはなにか、というところを実践で教えてくれた。
いかに自分が「絵を描く」ということに対して無知かということがわかった。
ほんの数ヶ月間しか通えなかったが
スクールに行く前とあとではずいぶんと絵に対する姿勢が変わった気がする。
絵自体は相変わらずヘニョヘニョだったけど。姿勢がね。姿勢。


先生の言葉で今も強く印象に残っている言葉がいくつかある。
そのひとつに“趣味”への取り組み方についてなるほどと思わせる言葉あった。
今日はそれを紹介してご挨拶とかえさせていただきたいと思います。


先生はデッサンしている生徒さんの絵を一枚一枚観て
「もっとよく(対象を)観て。」
とか
「そこの線はホントにそうなってる?もっともっとよく観察して。」
などとアドバイスを下さる。
それはとってもありがたいことなのだが、中には
「先生、私は趣味でやっているんでそんなに追求しなくていいんです。
ほどほどに描けるようになれればいいんですよ〜。」
などと言い出すおばちゃんがいる。
あげくの果てに
「もっと楽に“それっぽく”描けるコツとかないんですか?」
なんて大胆なことを言い出す人もいる。
そのとき先生はこうおっしゃった。


「趣味でやっているから適当でいい、というのはおかしい。
それなりのお金を払って貴重な時間を割いて来ているのに
なんで一生懸命やらないんですか?
趣味だからこそ、誰からも制約を受けずに打ち込めるはずなのに
なんで中途半端でいいなんて思うんですか?
それはものすごくもったいないことですよ。
プロの世界だったらクライアントの意向や時間的な制約などで
妥協したり不本意なまま完成しなきゃならないことなんていくらでもある。
皆さんも会社や家庭でそういうことってあるでしょう?
でも趣味は違う。思いっきりやっていいんです。
誰にも遠慮はいらない。とことん追求していいんです。
そのために皆さんはここに来ているはず。
そういう皆さんに応えるためにこの教室はあるはずなんです。
「べつにプロになりたいわけじゃないし」と言う人もいるかも知れないが
ものを勉強するのにプロもアマも関係ない。
プロ用の勉強法とアマ用の勉強法が違うなんてことはあり得ない。
ひとつの世界を追求するのに、道はひとつしかありません。
どうか“そこそこでいい”なんて思わないで欲しい。」


なにごとにつけ、ものごとのホントの面白さは
追求していかないと見えて来ない。
もちろんそれぞれの段階での楽しさはある。
でもそれはそのものが持っている本質とは別のものだったりするわけで。
例えばテニスはお互いが自分の思った所に球を打ち込み
その技をもってやり合うからこそ面白い。
そこに到達して初めて「ああ、テニスってこういうスポーツか」
というのが実感として理解できる。
「趣味だからこそ妥協してほしくない」
という先生の言葉は
趣味・仕事に関わらずすべてのものごとの本質に近づくための
心がけのようなものとして自分は受け止めた。
とことん追求すればこそ「趣味が高じて」ということも起こりうる。
「趣味だからそこそこでいい」
という台詞は一見もっともらしいが逃げ口上ともなりやすい。
せっかく始めた趣味なのだからトコトンやればいい。
誰にも遠慮はいらないのだ。