『廃藩ぬ武士』

hacchaki2007-05-17

きのうはうるうるま沖縄民謡教室。
昨夜のレッスンでは沖縄の歴史の中で起こった
ふたつの大きな事件に関連する曲を取り上げました。
『廃藩ぬ武士(サムレー)』と『屋嘉節』。

   『廃藩ぬ武士』※抜粋
拝でぃ懐かさや 廃藩ぬ武士
コーグ小や曲がてぃ うすんかがん
  唐や平組 大和断髪 我した沖縄片結


<読み>
うがでぃなちかさや はいばんぬさむれー
こーぐぐゎーやまがてぃ うすんかがん
  とうやひらぐん やまとぅだんぱち わしたうちなーかたがしら


<訳>
お会いするにつけ哀れなのは
廃藩によって職を失った士族です
背中を曲げて人目を避けて屈んでいますよ
  中国は弁髪 日本は散切り頭 我々沖縄は片結結い


沖縄は明治維新直後の
廃藩置県」および「琉球処分」により
琉球王国」は解体され「沖縄県」になりました。
その折、琉球王国に仕えていた士族(さむれー)たちは職を失い
民に降りて来ざるを得なくなる。
一夜にして平民になった士族たちは
捨てきれないプライドと虚脱感、
そして生活への不安などがないまぜになって
茫然自失と町をさまよったことでしょう。
そんな士族の哀れな様子を
慈愛と少々のシニカルさを込めて唄った。
嘉手苅林昌さんの母上、ウシさんの詞に
林昌さんが曲を付けたと言う。
親子してなんという才能!


本土にも「士族の商売」という言葉があります。
明治維新になって職を失った武士(こちらは「ぶし」)たちが
平民になって収入を得るために商売を始めるが
武士のプライドが邪魔をしてなかなかうまく行かない。
それを庶民は「士族の商売」と皮肉った。
落語の『うなぎ屋』などでその様子を知ることが出来ます。


沖縄でもそれと同じことが起こったわけですが
沖縄のサムレーたちの大きな功績は
庶民に三線を解放したことがあります。
琉球王朝の時代、三線はとても高価な物で
庶民の手に触れられることはほとんどなかった。
琉球王朝は「踊り奉行」という役職があったほど
芸能を重んじて唄三線は士族のたしなみと言われていたそうです。


   中国の士族は床の間に書を飾り
   日本の武士は床の間に刀を飾り
   沖縄のサムレーは床の間に三線を飾る


と言われるほど、士族にとって三線は大事な物だった。
それが琉球処分=士族解体によって民間人に解放された。
職を失った士族たちが始めた村芝居なども
大衆から大いにもてはやされたそうです。
それまで士族や金持ちしか持てなかった三線
庶民は手に取りますます多くの唄が生まれた。
このことは沖縄の芸能の歴史の中で
大きな転換点となったはずです。
そういった意味でも
この『廃藩ぬ武士』が唄っている情景は
三線をする者に味わい深いのではないでしょうか。