hacchaki2007-08-17

父親たちの星条旗』(DVDで鑑賞)
いまさらながら観ました。
しかも観てから1ヶ月以上経っている…。
終戦記念日に合わせて観たのではありませんのよ。


クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作。
硫黄島からの手紙』と本作では
こちらが先なのですが
観終わってみるとどちらを先に観るかは
それほど重要ではありませんでした。


太平洋戦争の中でももっとも
激しい戦いのひとつと言われる硫黄島の戦い。
アメリカ軍は本土爆撃への重要拠点として
日本軍は本土防衛の要として
総力を賭けて戦ったがその内容は
日本軍は守備兵力20933名のうち20129名が戦死。
アメリカ軍は戦死者6821名、戦傷者21865名という
損害を受けるという壮絶なものであった。


硫黄島からの手紙』では戦地の日本兵たちが
どのような状況であったのかを
冷徹かつリアルに描いています。
もちろん現実の惨さは到底映画に表現し尽くせる
ものではありませんが
クリント・イーストウッド監督の日本兵に対する敬意と
出来うる限り真実を伝えようとする真摯な姿勢が
映画そのもの以上に胸を打つ作品でした。
父親たちの星条旗』はアメリカ兵側の視点から
硫黄島の戦いを描いているわけですが
単に戦場におけるアメリカ兵の状況を描いたのではなく
硫黄島の擂鉢山にアメリカ兵が占領完了の星条旗を立てた
有名な写真を軸に話が進みます。
アメリカ政府はその写真を国内の戦意高揚と国債の宣伝に利用します。
日本とは圧倒的な国力の差があったアメリカ合衆国においても
長引く大戦による資金難が深刻になり
国債を発行して国民からの資金提供の呼びかけにやっきになります。
国債の宣伝に喜劇王チャールズ・チャップリン
買って出たのは有名な話です。


映画は戦場最前線である硫黄島アメリカ国内での
国債獲得イベントのシーンが交互に進行します。
戦場の最前線(日本側)で何が起こっていたのかを徹底的に描いた
硫黄島からの手紙』とはその点が対照的でした。
そしてそれはとても意味のあったことではないかと思われます。
圧倒的な国力の差、そして戦争に対するスタンスの差。
日本側の兵士たちを描く『硫黄島からの手紙』は
日本人の精神性に重きを置いて描かれます。
そこにあるのはまさに「武士道」。
よきにつけ悪しきにつけ日本兵
戦地において「武士」たることを求められ続けます。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という
あまりにも有名なこの言葉はまさに「武士道」の象徴です。
対して『父親たちの星条旗』では
「戦争さえもビジネス」といったアメリカのスタンスが描かれます。
もちろん兵士たちはビジネスと思って戦っているわけではないのですが
軍資金を集めるために星条旗を掲げた兵士たちを
最前線から国内に呼び戻して「英雄」として祭り上げ
全国各地でイベントを開催させてその英雄たちを引きずり回す。
日本では絶対あり得ないことだったろうなあと思います。
アメリカでそんなことが行われていたと日本兵が知ったら
どう思うんだろうなんてことを考えながら映画を観ました。
精神性を重んじて特攻なんて戦術を生み出す日本軍も怖いけれど
淡々と電卓を弾いて「この戦争は割に合うか」なんて考えて
戦地に若者を送り出すアメリカ合衆国
違った意味でそうとう怖い。
そしてその感覚は「今」のアメリカと全然変わらないところが
さらに怖いなあと思いました。
人間ってのはそう簡単に変われるものではない。
そう考えると日本も・・・?う〜ん。


映画として惜しむらくは登場人物が判別しにくかったこと。
とくに現在と過去が交錯しながら進む中
誰の現在が誰なのかが最初つかみにくかったです。
そこが少々残念でした。
ワタクシの理解力が足りないだけ?
それと劇中、次作(『硫黄島からの手紙』)に繋がる
伏線のようなものがあるのかと思いきや
ほとんどないのはちょっと淋しかった。
真摯な姿勢で描かれた戦争映画に
「お遊び的要素」と言ったら失礼かもしれないけど
せっかく同じ題材で2連作するわけだから
そのくらいの「サービス」はあってもよかったかな。
むしろ監督はそうした「サービス」を入れることで
リアリティが失われることを嫌ったのでしょうか。


いずれにせよこの2作を観るにつけ
極力エンターテインメント性を廃し
戦争の、そして人間の真実に迫ろうとする
クリント・イーストウッドの姿勢には頭が下がります。
彼が数々のエンターテインメント性の高い作品で
一世を風靡した人気俳優であるだけに
なおさらその点について感心してしまいます。
まだまだ監督として撮り続けるつもりなのでしょうか。
次回作が楽しみでございますよ。
パールハーバー』のマイケル・ベイ
爪の垢を煎じて飲めばいいと思うよ。

父親たちの星条旗 (特別版) [DVD]

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