2007夏・沖縄…2「旧盆」

今回の沖縄行きでのビッグイベントのひとつはエイサー。
到着した日はエイサーのウークイ(送り)の日。
旧盆3日間の最終日だったのは残念だったけど
(26日に教室の発表会があったため)
存分にエイサーをマンキツしようと与勝半島平敷屋へ。


へしきや青年会はエイサーの古来の形態、
つまりエイサーの原型といわれる念仏踊りの型を
連綿と受け継ぐ貴重なエイサー団体。
一般的に知られているコザ周辺のエイサーは
大太鼓と締め太鼓なのに対して
平敷屋のエイサーはパーランクーという一番小さな太鼓のみ。
それを菜箸のような細いバチで叩く。
もうひとつの特徴は楽曲のテンポが非常に遅いこと。
エイサー好きの間でも非常に評価が高い。


午後7時過ぎ。
夕闇というにはまだ明るい集落の中央に位置する神屋前に
人々が集まる。
TVカメラのクレーンまでセットされた独特な雰囲気のなか
三線が鳴り響き唄が始まる。
パーランクーが一定のリズムを刻み始める。
2人の白塗りのチョンダラーが躍り出て来て
いよいよへしきや青年会の演舞が始まる。
チョンダラーたちは無表情に、声にも抑揚をつけずに
淡々と舞いながらこれからエイサーが始まる口上を唄う。
15分ほどこれが続いたあと
パーランクーを叩きながら踊り手たちが広場に入場する。
整然と隊列を整え、単調な、しかしエネルギーを
噴出寸前まで溜め込んだかのような抑制の効いた演舞が始まる。
単純なフレーズのリフレインから徐々に高まって行く感じが
まるでガムラン音楽のようなトランスに誘われる。
だんたんと暮れて行く夕闇の中で
演舞は延々と続き次第に踊り手も観客も高揚して行く。
白塗りのチョンダラーたちは亡霊のように闇に浮かび上がり
ときに観る者を挑発するかのように
遠ざかり、また近づきながら踊り続ける。
その光景はこの平敷屋という土地に生まれ
死んで行った人たちが地縛霊となって再び現れたかのようだ。
そう、彼らは地縛霊なのだ。
この土地にへばりついて、いくら剥がそうとしても
引きはがすことの出来ない強力な磁力を持つ地縛霊。
それが本来のエイサーの姿なのだ。
彼らがそこにいること、そこで踊ることは
必然でありそれ以上でも以下でもない。
その土地のために踊る。その土地に生まれ
死んで行った人のために踊る。
今、その土地に生きる人たちのために踊る。
今、その土地に生きる自分たちのために踊る。
その「必然」の、圧倒的な説得力の前に
一介のヤマトンチュの旅人は声も出ない。


単調なリズムがやがて高揚していく中で
彼らが問いかける。
「そこのヤマトンチュ。お前は何故唄う?」
「ヤマトゥのにいさん。あんたははなぜエイサーをしている?」
「ヤマトンチュよー。あんたは誰のためにエイサーをするの?」
答えが見つからない。
「それを探しに来ているんだ。」
といつも、誰かに聞かれると答えるセリフ。
それすらも口に出来ない。
ただただ、舞い続ける地縛霊の前に立ち尽くすのみ。





へしきや青年会の演舞に打ちひしがれつつ
今回の沖縄最初の食事はキンタコのタコライス
相変わらずのボリュームにこちらも圧倒。

食事のあとは屋慶名に移動。
屋慶名青年会の家回りを見学させてもらうことに。
家回りはエイサーしながら集落の中で
その年にお祝い事のあった家などに上がりこんで
そこで嘉例(カリー)つけにエイサーを舞う。
これもまたその土地にとっての必然。
ここでもまた軽くカウンターパンチを食らう。


さらに打ちひしがれながらコザに移動。
コザはエイサーのメッカ。
県内でもっともエイサーが盛んな土地であり
多くのエイサー団体が群雄割拠している。
一般的に知られた“エイサーらしさ”という意味では
コザに行くのが一番判りやすいだろう。
ここでは山里青年会へ向かう。
同行の我がエイサーメンバーがとにかく山里好き。
もともと我が沖鶴エイサー会は
元・山里青年会のメンバーが発足したこともあり
型も唄も共通点が多い。
勝連のエイサーに打ちひしがれた身には
ちょっとホッとするところではある。
山里青年会が集落を回る間
音が途切れると遠くのほうから
別の団体のエイサーの太鼓が聞こえて来る。
これが沖縄の旧盆。エイサーの季節なのか…。
しばし感慨に耽る。


国道329号に出ると片側2車線の大通りを
1車線規制して各団体が道ジュネーをしている。
この光景もスゴい。街中が、いや沖縄中が
この瞬間「エイサーのために」ある。
見学者の人波もまたスゴい。
百軒通りという細い通りで久保田青年会と
山里青年会のガーエー
(エイサーによるケンカ神輿のようなもの
先にリズムを崩した方が負け)があるというので
そちらに駆けつける。
通り沿いのマンションの屋上に上がっている人たちがいて
そこにお邪魔させてもらって
地上15メートルほどのところから高みの見物。
空には満月がぽっかり浮いて
沖縄特有の水分をたっぷり含んだ大きな雲を照らしている。
マンションの屋上から見下ろすコザの街は
メインの通りだけでなく住宅街のあちこちからも
太鼓の音とスピーカーから流れる三線の音が聞こえる。
この地に生まれ、そして死んで行ったご先祖さまたちは
無事グソー(後世=あの世)に帰る前の
最後の時間をいとおしみながら
太鼓の音に、三線の音に、地謡の唄声に耳を傾けている。
「今年もいい旧盆だった」
そう思ってグソーに旅立つのだろうか。