美ら花唄会

日曜日はラジオ出演の後
上大岡『くんくんしーらや』へ。
昨年5月、突然グソーに旅立って行った
三線ドゥシのもじゃこちゃんの
追悼唄会が行われました。
(グソー=後世:あの世」
ドゥシ=ともだち)
彼女の人柄を慕ってたくさんの友人たちが集まり
彼女に相応しく華やかで楽しい会になりました。
参加させていただけたことがホントに幸せに思えました。


このところなんだか忙しくて
(っていう言い訳はしたくない!したくないんだ!!)
依頼されていたウェルカムボードも当日会場で描く
というていたらくで本当に申し訳なかったです。
総合監督も任されたんだけれど
とくになんにもしなかったし……トホホ(汗)。
それはともかくみんなそれぞれに
グソーの彼女に届くように
力一杯、ときに優しく、いつくしむように
三線に思いを託していたのが印象的でした。


いつも思うことだけれど
もじゃこと、8年前にやはりひと足先に
あっちに行ってしまった友人Nは
スゴく(本当にびっくりするぐらい)似ていて
いつもふたりを重ねてしまう。
そして、酒と唄三線の好きなふたりのことだから
きっとあっちで出会って一緒に唄ったりしてるんじゃないかな。
そんな思いがあってふたりがそれぞれに好きだった
『すみなし節』を唄いました。
もじゃこもきっと来ていたと思うけれど
Nもニギヤカが好きだったから
来ていたんじゃないだろうか。
そして一緒に唄っていてくれたんじゃないだろうか。
そうだといいなあ。


会も佳境に入り
ワタクシはボーッと壁にもたれて
みなさんの様子を見ていたんだけれど
そこでなんとなく感じたことは……


もじゃこは今、ここに居ないけれど
こうして知らない人たちがひとつの場所に集まって
もじゃこへの想いでひとつになって。
その真ん中はもじゃこが居る。
もじゃこという存在を介して
ともだちになった人もいっぱい居る。
だからもじゃこは「居ない」けれど
やっぱり「居る」んだ。
「居なく」なってなんかいないんだ。
もしかしたら「居た」とき以上に
もっと「居る」かも知れない。
生きている者の勝手な思いかも知れないけれど


……そんなことでした。


幹事を立派につとめたうっちんピンクどのお疲れさまでした。
そしてスタッフをつとめたみなさまお疲れさまでした。
参加されたすべてのみなさんお疲れさまでした。
またお会い出来る日まで。