恐るべき想像力の欠如

「甘受」とは。


「甘んじて受ける」という意味。
これは受ける側が
「しかたなく受けるしかない」というときに
使う言葉ではないか?
少なくとも人にモノをお願いするときに
言う言葉ではないであろう。


前日の首相による
「これまでは仮免だった」発言といい
「こう言ったら相手はどう思うか」
という“想像力”が決定的に欠如している。
政策がどうこう言う以前にその表現力の稚拙さが
このところの政治家の発言にはホントに多い。
同じことを言ってもその表現の仕方で
受け手の印象は大きく変わるものであるということを
誰かアドバイスしてやればいいのに。
そして言ったことへの責任感のなさ。
すべては「想像力の欠如」から来ている。
撤回したって人の記憶からは消せないということを
この大人たちはわからないのだろうか。


「最低不幸の社会」と就任当時首相は言っていたが
これにもとても消極的な印象を持った。
「不幸を最小限に減らす社会」って
なんかベクトルは「不幸」でしょ。
なぜ「幸福」にベクトルを向けてくれないのか。
龍馬伝』では福山龍馬が
「皆が笑うて暮らせる国にするぜよ!」
と言っていたがなぜそういう発想がないのか。
世の中がこんだけ不景気でドンヨリしているのだから
せめてポジティブなこと言ってくれよ!と思うのだが。


最近いろいろ残虐な少年犯罪とか起きるのを見るたび
「想像力の欠如」ということを思うのですが
結局のところ若者と大人たちは合わせ鏡。
想像力の欠如した大人たちがこの国を動かしているのだから
(いや、動かしてすらいないでただトップにいるだけかも)
この国全体の想像力の欠如はますます加速していく。
それこそ想像するだに恐ろしい。
まあ想像力のない人には想像出来ないわけだが・・・。