宮城県名取市に行ってきました

5/22(日)、エイサーメンバー有志で
宮城県名取市に行ってまいりました。


今回は沖縄物産店「ぷからす家」さんに誘っていただき
株式会社エイトさんを中心とする横浜飲食店経営者会
「かながわイレブン」の炊き出し隊


『神奈川から名取へ!元気屋台村』


に参加。
我々は被災された現地の方々に美味しい食べ物とエイサーを
楽しんでもらおうという趣旨で参加したのでした。


前回の炊き出しの様子はこちら


株式会社エイトさんは複数の飲食店をチェーンに持つ企業で
ラーメン、焼き鳥、寿司、イタリアンなどさまざまな飲食店が参加。
沖縄系では『リトル沖縄』『ハイサイうる虎』『茅ヶ崎ちゃんぷるー』らが。
さらにはマッサージ、ヘアサロンなどが参加し
総勢110名からなる一大プロジェクトとなったのでした。
我々沖鶴メンバーは有志9名。
午前二時の出発に備え居酒屋で待ち合わせ。
なんとなくテンション上げ気味でバスに乗り込んだのでした。




大型バスに揺られ東北道を北上。
始めは快適なバスの旅でしたが
何度かのパーキングエリア休憩を挟みながら進んでいくと
次第に高速道路の路面が荒れているのを感じました。
窓から路面を見るとそこかしこに修復の痕が。
バスの中ではガッツリ寝ようと思っていたのですが
福島に入ってからはこの路面のうねりの影響で
ほとんど眠ることが出来ませんでした。


クルマは夜もすっかり明けた午前7時頃
東北道からバイパスに入り名取インターに降りた頃
風景の異変に気づきます。
元がどういう景色だったかを知らないのですが
田んぼか畑であっただろう広い土地のあちらこちらに
大破した自動車が放置されています。
とくにあぜ道には固まって数台ずつ寄り添っています。
住宅地であったであろう場所に漁船が転がっています。
初めて目の当たりにする「地震の傷痕」。



バイパス出口は海岸から約2キロ。
そこから会場となる名取市役所は内陸に約3キロ。
のちにこのバイパスが津波による被害の明暗を分けたことを知ります。
つまり高さ3〜4メートルほどの高架になっているバイパスが
津波を食い止めたために内陸側は津波の被害に
ほとんど遭わずに済んだのです。


8時頃に会場である名取市役所前に到着。
小雨ぱらつくなか設営、炊き出し準備開始。
我々は沖縄料理ブースの準備を手伝います。
12時の炊き出し開始まで時間があるので
バスで被災地を案内していただくことになりました。




バスが内陸からバイパスを越えて
海側の閑上(ゆりあげ)地区に入ってくると途端に
目の前には異様な光景が広がり言葉を失くします。
テレビでは再三名取市津波時の状況を流していましたが
それが現実となって眼前に迫ります。


根こそぎ失われた住居。
ほとんどの建築物が元あった場所から無くなっている。




そこかしこに転がる大破した自動車の群。
クルマってこんなにくしゃくしゃになるのか。
まるで紙くずのよう。


堆積した瓦礫の山。
その量がハンパじゃない。


あいにく雨が本降りとなって
バスの窓が曇ってしまい
外の様子が見えなくなったところで
ひより山という6〜7メートルほどの小高い丘に着く。
震災後の5月、根元から折れた桜の木に花が咲いたことで
地元の人に希望と勇気を与えた場所だという。
激しい雨に濡れながらひより山に登ると
そこから一望する景色は壮絶そのものでした。















丘の上には地元の皆さんか訪ねてきた外部の人々か
たくさんの花が添えられて立て札には思いのたけをぶつけた
いくつもの言葉が添えられてしました。
この丘から一望できる閑上(ゆりあげ)地区は全滅だそうです。







とにかく雨がひどくておまけにバスに乗り遅れそうになったりして(汗)
まともな写真が撮れなかったのですが
その一端を感じ取っていただければと思います。


30分ほどでバスは会場に戻り
濡れた服を乾かしつつ
衣装に着替えて第1回目の演舞。
音響の調整をしている間
自分の周りをうろちょろしている人が。


「うっとうしいおっさんやなあ」


と思ってふと見たらなんと自分の実兄が!
土木コンサルタント会社に勤める兄は
仙台の復興事業関係で主張に来ていたのでした。
今回の炊き出しで一番驚いた出来事だったよ!


演舞のあとは沖縄料理ブースで沖縄そば、ドリンク
そしてブルーシールアイスを被災者の皆さんに配りました。
アイスなんて寒いのに!と思いきや
これがものすごい人気で。
なかなかこういうものにお金が回らないのだろうか。
特に子供たちは大喜びでしたね。
沖縄そばも温まるから喜ばれました。
沖縄そば、初めて食べるわ」
という方もいらっしゃいました。
これを機会に沖縄そばファンになってくれると嬉しい。




あいにくの雨天にも関わらず
炊き出しは盛況のうちに幕を閉じ
最後に締めの演舞を行いました。
途中閑上地区で被災されたスガイさんというおばあちゃんが


「地元の唄(閑上大漁節)を唄わせてくれ」


と言ってきたので唄っていただきました。
地元の人たちも嬉しそうに手拍子をしたり
一緒に唄っていました。
亡くなった同じ地元の方への鎮魂歌に聞こえて
その伸びやかなで哀切を帯びた唄声は
曇天の空に溶けて行きました。


そして最後はみんなでカチャーシー
空のいい“気”を取り込んで皆で幸せになろう
そんな思いで目いっぱい唄い、踊りました。
この日ほどカチャーシーをいつまでも
終わらせたくない思ったことはありません。









帰り支度をしているところへ
ひとりの男性が近づいてきて話してくれました。


「今日は本当にありがとうございました。
でもこういう言い方は適当かわかりませんが
名取市はまだいいほうなんです。
僕の実家がある石巻はもっと酷い。
復興なんてまだまだ程遠い。
ホントに大変なんです。
ぜひ石巻にも来て下さい。
そしてみんなを元気付けてあげてください。」


少し酔った男性は声を潤ませて語ってくれました。
もちろん少しでも皆さんのお役に立てるなら
どこへでも行きたい気持ちでいっぱいです。





今回あまり現地の方と話す機会をもてなかったのですが
かけられる言葉も見つからなかったのが本音です。
民謡を唄ってくれたおばあちゃんや
向こうから声をかけてくれた方にはとにかく


「身体にくれぐれも気をつけて」


と言うしかありませんでした。


これからも機会があればエイサー、ソロに関わらず
どんどんアクションを起こして行きたい。
自分のような表現者にできることといえば
それくらいです。
でもきっと誰かを元気付けることはできる
そう信じて動いていきたいなと思います。


とはいってもひとりでできることは限られています。
自分でも何か周囲の皆に声をかけて
一緒にできることがあればなと考えています。
この場でもご協力をお願いすることがあると思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。


参加されたメンバーのみなさんお疲れ様でした!