週末報告〜沖縄そばの日→ゆーえすかるび!

hacchaki2012-10-22

水曜日。
10/17は「沖縄そばの日」でした。
ウォーキングがてら
関内の沖縄物産店『ハイサイおきなわ』まで行き
沖縄そばの麺を買って自宅で食べました。
「与那原そば」うめー。


沖縄そばの日」  沖縄そばの生麺協同組合HPより


本土復帰をして4年目を迎えた1976年、
設立されたばかりの「沖縄生麺協同組合」に対し
公正取引委員会からあるクレームがついた。
その内容は、
沖縄そばは、蕎麦粉をまったく使用していないため
『そば』と表示してはならない」というものだった。


「生めん類の表示に関する公正競争規約」に基づくと、
「そば」という名称を表示するには、
原料の蕎麦粉を三割以上使用していることが条件なのだ。
そうなると、県民に長く親しまれてきた「沖縄そば」が
「沖縄風中華麺」と呼ばなくてはならなくなる。


そこで「沖縄の食文化を変えてはならない」と立ち上がったのが
沖縄生麺協同組合の当時の理事長土肥健一氏らだった。
まずは、沖縄総合事務局内の公正取引室に折衝に出向くがらちがあがず、
直接東京の本庁へ足を運ぶ。
雪が降る日も足繁く通い、数か月にわたる折衝を続ける。
その甲斐があって、1977年、条件付きだが晴れて沖縄そばの名称が認可された。
 しかしこれには、「沖縄県内だけに限る」という制約がついていたため、
組合は更なる折衝を続ける。
この交渉は、公正取引委員会から全国めん類公正取引協議会へ移され、
その中で特殊名称として「本場沖縄そば」を
登録してはどうかという名案が生まれる
。その結果、1978年10月17日、「生めん類の表示に関する公正競争規約」
別名での名産・特産・本場等の表示で、
ついに「本場沖縄そば」として認証された。
さぬき名産うどんや本場出雲そばなのについで、七番目に認可を受けた。
「本場沖縄そば」は原料や熟成、めんの太さにいたるまで、12の定義がある。
どれか一つでも欠けていると、そう表示してはいけないのだ。
その後1987年4月5日、本土移出の正式認可を受け、
本土市場への本格的な参入が始まった。


普段何気なく呼んでいる名称は、
実はこうしたそばに携わる人々の努力の上に成り立っている。


金曜日。
定例の中山『舞天』ライブ。
カチャーシータイムでは
お酔いになられたお客様が
踊り狂ってステージになだれ込むという
狂乱の沙汰となりましたが
大人の対応で華麗に収めました(笑)。


ライブのあと
12月にジョイントライブをする
イケメン松尾さんと打ち合わせ。
元役者の松尾さんは


「歌詞は台本のつもりで覚える。
だから譜面台などいらぬ!」


なのだそうで
なかなか歌詞を覚え切れない田所は猛省。
しかし、酒豪過ぎるよ松尾さん。


土曜日。
13時からレッスン。
明石からカメちゃんも来てにぎやか。
夜は選奨の祭典その他もろもろの
打ち上げ的なものを自宅隣の韓国焼肉店で行う。
人気メニューはUSカルビ。
「US」は輸入牛肉、つまりリーズナブル
ということなのだろうけど実際安くて
ほとんどこればかり頼む。
終わってみれば他の肉は
牛タンと豚トロしか頼んでいなかった。
店主お手製のキムチもグッド。
ナムルはぜひぜんまいも入れて欲しいデス。



日曜日。
朝ウォーキングは野毛経由で山下公園へ。
象の鼻広場でイベントをやっていて
そこにお友だちエイサーグループ『舞弦鼓』が
出るということでメンバーを探したけれど
見つからなかった。
結果的に2時間近くも歩いた。




午後から人気フォークグループ「ゆず」の
どっちかが卒業したとかで有名な
岡本中学校に隣接するコミュニティハウスの
秋祭りにお呼ばれしてエイサー。
ワタクシのキミマロばりのトークも滑らず(笑)
楽しく演舞させて頂きました。



夕方は奥さまと横浜駅に買い物に出かけて
u.g.ショップで冬物など漁り
博多ラーメン『一風堂』で麺かためを替え玉しました。



なんとなくゆる〜い週末だったなあ。