カーネーション35周年記念ライブ

hacchaki2018-07-01

6/30(土)日比谷野外音楽堂で行われた
カーネーション35周年記念ライブ
「サンセットモンスターズ」はやはりすごかった。
直枝さん、太田さんのオリジナルメンバーは
4時間休憩も無く出ずっぱり。演奏しっぱなし。
そこに初期メンバーから
現在に至るサポートメンバーが
入れ替わり立ち代り参加し
古い楽曲から順に演奏して行く。
さらにそこにスペシャルゲストが加わり
コラボしていくというものすごく豪華な構成。
オリジナルメンバーはもちろん
サポートメンバーの演奏の確かさに
ひとつひとつの楽曲のクオリティの高さを
あらためて感じることが出来た。
直枝さんの声の艶やかで伸びやかさ。
男性ボーカリストで一番好きだわー。
そして太田さんのベースの正確さやフレーズのかっこよさ。
にわかベーシストの田所としては眼が離せない。
やはりカーネーションはカッコいい!

そして多くのスペシャルゲストの中でも
森高千里さんと岡村靖幸さんは特にはすごかった!
森高さんやっぱりすごいわ。
存在感ハンパない。
10代の頃から約30年経っても変わらず
森高千里であることに徹する」というプロ意識が
ステージからビシビシ伝わってきた。
それにこの方唄が上手い。
特徴的なファニーボイスなので勘違いされがちだが
ピッチがものすごい正確だし言葉が聞き取りやすい。
すぐれたボーカリストなのだなあとあらためて感心。
岡村さんは出て来た瞬間からキレッキレの「岡村ちゃんワールド」。
誰にも代わりは出来ない唯一無二の存在なんだなあ。
ムーンライダーズの皆さんもノビノビと好き勝手やってました(笑)
多くのミュージシャン、そしてファンに愛され続けるカーネーション
これからもずっと追いかけ続けます。

そして野音というロケーション、やっぱりいいねえ。
いつか野音のステージで唄うぞ!と心を新たに誓ったのでした。
大学の音楽サークルの後輩ユエちゃんと
3学年上の永島先輩と一緒というのも何となく奇跡でした(笑)
本当に心から参加してよかったと思えるライブでした。

だがしかし
あまりに暑くて家に帰って冷房の効いた部屋でダウンして
喉やられました(涙)
沖縄行きまでに直さないと。

ベース始めました

ベースを始めたんです。
前から遊び程度には弄っていたんですが
とある必要に駆られて
ちょっと真剣にやろうと
ヒマさえあればベース弾いてます。楽しい。
至極当たり前のことですが
「練習をすると上達する」
ということに今更ながら気づいたりして。
人生でベースを弾くことになるなんて
思ってなかったんですが。
ステージで披露するのは
いつになるやら。


ティーンエイジャーの母

hacchaki2018-03-30

昨日母の写真を整理していて見つけたのです。


17歳のときの唯一の写真(これが一番若い写真)は
13歳の弟(ワイから見たら叔父さん)とのツーショット。
まだ幼い少女の表情だが
紛れもなくワイの知っている母の顔だ。
そして弟が大好きだ、といわんばかりの姉の顔。
2、3枚目は21歳と22歳のときのもの。
ワイは会うことが叶わなかったが
母のお父さん(祖父)とお母さん(祖母)
それぞれとのツーショット。
祖父は威厳ある昔の男の顔をしている。
武士の風情がある。
祖母はなんとも穏やかで優しげ。
あなたたちが存在したから
今ワイはこうして存在しているのです。
母は危篤状態になってからも
ずっと「お母さんに会いたい」と言っていた。
ずっとその思いを胸に秘めながら生きて来たのだろう。
今頃三人で団欒しているといいな。


母は、自分から見れば確固たる「母」という存在だったけど
そんな母にも当たり前に少女時代があり、青春があり
大切な家族があり、屈託なく笑ったり思いっきり泣いたり悩んだり
友達と熱く語ったり、馬鹿話したりしていたのだなあと
そんなことを思うとなんとも熱いものが込み上げて来るのでした。



作文「『いもや』とワタクシ」

hacchaki2018-03-21


『天丼 いもや』がなくなるなんて。
大学時代はバイト代が入ると
よく学校近くの『いもや』で天丼を食べた。
漫画修行時代、神保町の出版社に
持ち込みに行った帰りはいつも『いもや』だった。
当時はキス、エビ、カボチャ、大葉など
4点の揚げたて天ぷらが乗り
辛めのタレのかかった美味い天丼に
シジミの味噌汁と漬物が付いて450円だった。
1品50〜100円で天ぷらを追加することも出来た。
注文を受けてから揚げる天ぷらは
450円では申し訳ないくらい美味しかった。
編集担当者に褒められた時は一品追加した。
今のワタクシは『いもや』で出来てると言っても
過言ではないと言ったら言い過ぎだ。


兄は『キッチン南海』党だがワタクシは断然『いもや』党だ。
立候補するなら『いもや』党からだ。
バンド名だって本当は「IMOYA」にしたかったのだ。
生まれ変わったら『いもや』になろうと思っていたくらいだ。
最近は行ってなかったけど神保町界隈に行ったら必ず寄ろうと決めていた。
それがなくなってしまうのは本当に悲しい。
これからワタクシは何を支えに生きていけばいいのだろうか。


しかし『いもや』はなくなっても
これからもワタクシの心の中に生き続ける。
『いもや』よ、ありがとう!『いもや』よ、永遠に!
ちなみに『とんかつ いもや』には行ったことありません。

父の誕生日

hacchaki2018-03-18

おととい父が夢に出て来た。
70代半ばくらいの、まだ元気な父だった。
なんかいろいろ話しかけて来るから
この人自分が死んだのわかってるのかなあと思って
思わず「あの〜、親父死んでるんだけど」って言ったら
とてもショックを受けたいうような
そしてとても淋しげな顔をしていた。
晩年は父の耳が遠くなり
コミュニケーションが上手くいかず
ついついキツく当たることが多かった。
最後のまともな会話のときも
そんな淋しそうな顔をさせてしまった。
本当に親不孝な話です。
もっと優しく出来なかったものかね。
今日は誕生日だったね。
おめでとう。
生きてりゃ横浜高島屋の『今半』で
肉買って来てすき焼きだったね。
また親父の味付けで食べたいね。
ワイがそっちに行った時にはよろしく。
まだ当分先だと思うけど。
しばらくは母とふたり水入らずで待ってて下さい。
もう母を困らすようなことするなよ。

311

hacchaki2018-03-12

今夜は実兄が上京。
中華街で暴食ののち
家に戻りコーヒーを淹れ(ここポイント)
ヨメリーヌと三人で
しみじみと父母の思い出を語った。
昨年の今頃はまだ母は生きていたのだ。
(……という台詞もまもなく言えなくなるのだが)
もうすでに入院して
人工呼吸器を付けたり外したりだったけど。


そして今夜はあの東日本大震災から7年目の日でもあり
命と、人生についていろいろ考え、語った。
甥っ子の大学合格、両親も喜んだだろうな。
いや、アチラできっと喜んでいるに違いない。
ふたりが言いそうな台詞が頭に浮かぶ。
ふたりの笑顔が眼に浮かぶ。


ほんとうに人生にはいろんなことが起こる。
たったひとつの親孝行は
親より先に死ななかったことだ。
4年前の自転車事故で死ななかったのなんて奇跡に近い。
しかも特に目立つ後遺症もないのだ。
ほんとうに奇跡なんです。
同じ年にクルマ追突されたりもしたし。
それでも元気。これが唯一の親孝行。
そして健康に産んでくれたお陰で
今のところ大病をすることもなく
好き勝手やらせてもらっている。
本当に感謝だ。
明日の朝も無事に起きる。
そう誓って眠りにつこう。
不眠症気味ゆえまだ眠れないけど)