『たそがれ清兵衛』

hacchaki2004-02-16


いまごろ観ました。
まず、藤沢周平の小説世界が映像で誠実に再現されていて感動した。
カメラワーク、時代考証ともに素晴らしく
細かいところまで神経の行き届いた画面には全くゆるさを感じない。
ああ、日本ってほんのちょっと前までこうだったんだよなあ、と思わされた。
いろいろな人が指摘する画面の暗さについては気にならなかったなあ。
昔の日本家屋ってきっと暗かったと思うし。
主役の真田広之宮沢りえはスバラシかった。
真田広之って昔はなんだか2枚目ぶってて鼻持ちならない役者と思っていたが
いつのまにかこんなに味のある演技するようになったのね。
誠実に生きることだけが取り得の田舎侍を
これほどまでに表現できるとは。
そして殺陣の素晴らしさ。
身のこなしの鋭さ、切れ味ともにさすがJAC出身なのだ。
基礎のしっかりしている人は違うなあ。
真田の立ち回りみたらNHKの『新選組!』がますます学芸会に見えます・・・。
いや、あれはあれで楽しく観てますが。

宮沢りえは凛とした日本女性の美しさを豊かに表現していて秀逸。
いろいろあったけどホンマきれいになったなあ、りえちゃん。
まさにいまが旬でしょう。
芯の強さと、はかなさが同居した大きな美しい瞳。
ああ、いいなあ・・・。まさに「日本の女優」って感じだ。
脇を固める小林念持、田中泯大杉漣吹越満等も
キャラクターが立っていてよかったです。

しかし、やはり多くの人が指摘しているように
岸恵子のナレーションはいらなかったと思う。
ナレーションがなくても成立する画面で
ナレーションが入っているのはやっぱりうるさいわけで。
最後にとって付けたように出てこられても・・・。
どうしても岸恵子で映画をシメたいなのなら
カメラはもっと少女の目線で撮らられるべきだったであろうし。
(岸恵子は清兵衛の次女役で、彼女の回想としてナレーションが入る)
これは回想である、ということわりがないのに
最後に突然ご本人に出て来られてもピンと来ないのです。
希望としては最後、清兵衛が戊辰戦争で死ぬのならば
そこまで丁寧に描いて欲しかった。
そこには清兵衛が「侍」として死ぬことの意味があるように思えるのだ。
よきにつけ悪きにつけ。
井上陽水のエンディングテーマ曲もピンと来なかったなあ。
井上陽水の声や歌詞ってとてもリアルな感じがするんですよ。
抽象的なことを歌っていてもリアル。
「部屋のドアーは金属のメタルで〜」
と訳わかんないこと歌っても妙にリアル。
つねに「リアル」を歌って、時を経ても古びないのが陽水の凄さで。
それがあの時代劇のノスタルジックな空気感の中では
ぽっかりと浮いてしまっているような気がしました。
というわけで、なかなか味わいの深いよい映画だったのですが
全体としてはややピントがもうひとつ定まらない印象を受けたのは
なぜなんだろうか・・・。
しかし、この作品は要するに『アナザー・ラスト・サムライ』なんだよねぇ。
ラスト・サムライ』とともにアカデミー賞
名前が挙がっているのはなにかしら意味があることのように思えます。
これにNHKの『新選組!』を加えて
三者三様の「ラスト・サムライ」が俯瞰できるのは
なんだか面白いのです。
っていうか、『ラスト・サムライ』まだ観てないんだけど・・・。


■■■『たそがれ清兵衛』の公式HP■■■
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