『椿山課長の七日間』浅田次郎

hacchaki2006-03-20

ずっと食わず嫌いだった浅田次郎をなんとなく読んでみた。
買ったのはだいぶ前だったのだが
ずっと読んでなかったのね。
「世間でけっこうもてはやされてるから読んでおくか」
くらいの斜に構えた感じで。
でもなかなか手が伸びず、デスクに放置されていた。
で、そろそろ読んでみるか。ふ〜ん、浅田ねえ。どうなのさ、実際。
とメッチャ斜に構えたまんま読み始めたら


面白かった…。


なんかクヤシイ。


なんというか上手いんだよね。
サービス精神旺盛に、ケレン味たっぷりに、グイグイ読ませる。
上質の落語を聴いているような感じ。
これで一気に浅田ファンになるかっていうと
ならないと思うんだけど
読んだあとで「クソ〜上手いな〜チクショー」って
地団駄を踏みたくなるような作家なわけで。
あ〜ホント、このクヤシサ、誰かと分かち合えないかな〜。


そういう点では重松清とは対極にあるかも。
重松清はもっと不器用だし
「うまい」というよりは荒削りに
人間の内面を抉り出そうとするようなところがある。
作り話の中で、よりリアルに、時代や人間の本質を切り取ろうとしている。
浅田次郎は小説が「作り話」であることを隠そうとしていない。
「作り話ですが、いい話なんでひとつどうぞ」
という感じでサラリと書いてのけている感じ。ニクイネエ。
まあ、1冊しか読んでない人間のタワゴトなんですけど。
とりあえず他のも読んでみます。
もっとクヤシがらせてくれるんだろうか。


この『椿山課長の七日間』は重松清の『流星ワゴン』と
「働き盛りの中年の死」という共通のテーマを扱っている。
死んだ(あるいは死に掛かっている)人間が自分と向き合い
死を受け入れる(あるいは受け入れることで「生」に戻る)
という流れはほとんど同じである。
でも浅田次郎の方がエンターテイメントに徹している分
安心して読めるし笑い飛ばせる。
重松清の作品にはそういうエンターテインメント的読み方を
拒否しているようなところがある。
作品の優劣ということには全く関係がないんだけど
そういう大きな違いがあるということ。
どちらも読む価値があると思う。

椿山課長の七日間 (朝日文庫)

椿山課長の七日間 (朝日文庫)