『白雲節』異説…(2)

先日、津波皓瑛先生の経営する民謡パブ『絹の家』にお邪魔した。
是非お会いしたいと思っていた唄者のひとりだった。
民謡ショーで「飛び入りしなさい」と言われ
自分が唄う『白雲節』を聴いていただいた。
ショーが終わったあとも自分たちの席についてくれて
いろいろとお話を伺うことが出来た。


津波先生は古い唄の本来の歌詞などについて
いろいろ研究をされているようで
なかなか内地には伝わってこない貴重なお話をしてくださり
感謝感激であった。
その中で『白雲節』の話になったとき
「あれはね、もともとの歌詞は違うんだよ。」
えっ!ど、どういうことですか!?
津波先生は資料として古い民謡歌詞集を出してきてくれた。
奥付を確認しなかったので正確な発行年月日はわからない。
だが、当時の民謡歌手の写真がズラーッと並んだ前ページに
先生自身ヒゲを書いたり鼻毛を書いたり、と落書きをしているところをみると
おそらく先生が少年の頃、昭和30年代ではないだろうか。相当古い。
…というよりそんな貴重な資料に落書き…。
「バカなことしたなあと、後悔しているんだよ。」
津波先生は本当に悔しそうに語った。ホントですよっ!


そこには『白雲節』の歌詞が出ていた。


  白雲ぬ如に 見ゆるあぬ島に
  飛び渡て見ぶさ 里と共に


え?「里と共に」?
離れ離れの人を思う唄じゃないの?
津波先生のアルバムには、
この歌詞で唄われた『白雲節』が収録されている。

  『白雲節』   作詞作曲:真境名由康

白雲ぬ如に 見ゆるあぬ島に
飛び渡て見ぶさ 里と共に


二羽うし連りて あの島に向かて
たわむりて行ちゅる 夫婦千鳥


我身ん思里と あの鳥ぬ如に
如何な荒波ん 渡てみぶさ


山なする波の 立ちゅる渡海やてん
里と二人なりば 糸ぬ心


ぬがし此ぬ世界や ままならんあゆる
我が思る里や 自由んならん

全然違うのである。
「あなたのもとへ飛んで行きたい」
という話ではなくて
「あなたと一緒に飛んで行きたい」
という唄になっている。
かなり違う話なんである。
『白雲節』は一般的には作者不明とされているが
ちゃんと作詞作曲者の名前も載っている。
では、自分が聴いて、心打たれて、唄ってきた歌詞は?


「おそらく、林昌さんや他の唄者がアドリブで作っていったものが定着したんだろうね。
沖縄民謡は即興の音楽だからどんどんそうやって変化していく。
でも変化していったものがスタンダードになってしまうことの怖さもある。
ちゃんと作った人がいて、元の唄があるのにそれが忘れられてしまったり
ないがしろにされてしまうのは悲しいことだと思うよ。」


津波先生はそうおっしゃっていた。
いかなる唄も、最初に唄った人がいるわけで
それを知ることはとても意味のあることである。
もちろん、現在一般的に流布している歌詞が
いけないということにはならないと思う。
「唄は世につれ…」である。
自分自身、現在の『白雲節』の歌詞がやはり好きだし
素晴らしい、美しい歌詞だと想う。
これからもこの歌詞で唄い続けていくと思う。
でも、その起源を知ることが出来たのは
なにものにも代えがたい貴重な経験となったのだ。
深い、沖縄は深い。島唄は深い。

   『白雲節』
白雲ぬ如に 見ゆるあぬ島に
飛び渡て見ぶさ 羽ぬあとて


飛ぶ鳥ぬ如に 自由に飛ばりてれ
毎夜行ぢいじゃて 語れすしが


我が思る無女や 白雲ぬ如く
見ゆるあぬ島ぬ なひんあがた


我がや思み尽くす だけに思ゆしが
渡海ゆ隔じゃみりば 自由ねならん


たとい渡海隔じゃみ 離りいやうてぃん
白雲に乗して 思い知らさ


一人さびさびと 眺む白雲ん
無女姿なとて 忘りかにて

2年前に那覇の民謡スナック『島思い』を訪ねたとき
そこのオーナーである大城美佐子さんとお話しすることが出来た。
さすがにご本人の前で『白雲節』を唄うことは
恐れ多すぎて出来なかった。出来ないでしょうフツー。
あの嘉手苅林昌をして
「ワシから『白雲節』を盗んで行きおった。」
と言わしめた、大城美佐子先生の前で唄えますか!?
そのかわり、自分がいかに『白雲節』が好きかということを
切々と訴えた。迷惑な話だ(笑)。きっとそんな人いっぱいいるだろうな。
「あなたにとっての島、思い人、それを想って唄いなさい。
そうすれば、唄が生きてくるからね。」
大城先生はそう語って、林昌先生の思い出話をしてくれた。
大城先生はやはり林昌さんを想って唄っているんだろうか。


「見えるからこそ辛い。」


その言葉はいつもズシリと重い。


<追記>
上で記した歌詞集については、次回津波先生の所にお伺いしたさいに
正確なタイトルと発行年月日を確認して来たいと思う。
できれば落書き部分は写真に取って来たいくらいだ(笑)。