『安波節』の意味(ちょっとおとなの話)

安波ぬまはんたや 肝すがり所


  奥ぬ松下や 寝なし所


<読み>
あはぬまはんたや ちむすがりどぅくる
  

  うくぬまちしちゃや になしどぅくる


沖縄民謡ファンにはおなじみの唄。
そして三線教室では最初にやることが多い『安波節』。
この唄は一見初級者向けですが実は奥が深い。


安波は沖縄最北部国頭村の太平洋に面し、
あと十数キロ北上すれば最北端の辺戸岬。
三方をヤンバルの山々に囲まれたとても小さな集落です。


『安波節』はその安波にあるまはんた
(「ハンタ」=崖 「まはんた」崖の上にある小さな広場)
での「毛遊び(もーあしび)」の風景を唄います。


<意味>
安波の小高い山の中腹の広場は 男と女が心を通い合わす場所

その奥にある松の木の下は 男女が愛を交わす場所


「寝なし所」はたんに


「休息する場所」


と訳されることが多いようですが
実はこれには別の解釈があって


「男女の営み」


を指しているそうです。
つまり広場で毛遊び(屋外合コン?)して
意気投合した男女が松の茂みに消えて・・・ムフッ♪というわけです。


「え〜エッチぃ!」


と思った人、ちょっと早とちりです(笑)。
あまりに直接的過ぎて
現在では意味がぼかされてしまっているようですが
これには単に「エッチ!」では片付けられない
深い意味があるようです。


ひとつには人々の暮らしが貧しく慎ましやかだった時代の
おおらかな性の営みの一描写。
そういうおおらかさが許される
平和な時代の唄であるということがいえます。


そして、
男女の営みは子孫繁栄を表します。
子孫繁栄すなわち労働力の増加、生活の向上、
豊かな暮らしへとつながっていきます。
性器崇拝がほとんど農耕民族にしか見られないのもそのためです。


川崎で毎年4月に行われる有名な「かなまら祭り」も
(巨大な男性器をかたどった神輿を担いで
町を練り歩く楽しいお祭り♪興味ある方はぜひ一度!)
現在はゲイの祭典みたいになってますが(笑)
元をたどれば子宝、豊作を願う男根崇拝から来ています。


『安波節』がうたわれた時代には
人々がみな貧しく、つつましく暮らしていた時代。
(17〜18世紀頃の成立と言われています)
子孫繁栄、豊年満作は生活に直結する切実な問題であっただろうし
男女が愛を交わす、それを唄にするというのは
ごくごく自然なことだったのではないでしょうか。


二番はこう唄います。


安波ぬぬん殿内 黄金灯篭下ぎてぃ
 
  うりが明がりば 弥勒世果報


<読み>
あはぬぬんどぅんち くがにとうろうさぎてぃ
 

  うりがあかがりば みるくゆがふ


<意味>
安波のノロのお屋敷に 黄金色の灯篭が下がっていて


それに灯りがともると 本当に素晴らしい世の中がやってくる


ノロは女性の神官。
沖縄発音では


「ぬる」


「ぬる」「ん」「どぅんち」


の「る」と「ん」が音便化して


「ぬんどぅんち」


とつづまります。


古代の沖縄では女性の神官が神様の神託を受け
それによって豊作を占ったり
集落の政治を執り行なったりしていました。
(その面影は「ユタ」という形で残っています)


そのノロのお屋敷の灯篭に灯りがともると
弥勒世果報、すなわち
沖縄のはるか南にあるニライカナイ(極楽浄土)からやってくる
ミルク神がもたらす本当に豊かで平和な世の中がやってくる。
これは「そうであってほしい」という
民衆の切望を表しています。
貧しいからこその切望。
よりよい暮らしへの希望。


その切望があればこそ1番の歌詞が生きてきます。
でないとそれこそ単なる「エッチする場所」という意味のみに
なってしまいます(笑)。


今、あらためて『安波節』を唄うと
おおらかに男女の営みを唄いながら


少しでもいい世の中でありますように


みんなが豊かでありますように


と願ういにしえの安波集落の人々の姿が浮かんできます。
それは今のこの日本にとてもマッチしている。
情報が錯綜してテレビでは過激な報道が過熱して混迷する状況の中
ややもすると心がささくれ立ってしまうけれど


みんなで願うことを忘れずに


笑顔で唄うことを忘れずに


おおらかであることを忘れずに


そんなことを『安波節』は教えてくれているような気がします。



そんなわけで20日のライブでは
『安波節』をみんなで唄いましょう!
沖縄民謡をやっている方はぜひ一緒に。
わからない方も歌詞をお配りします。
一緒に声を出してみましょう!
遠慮は要りません。


くちびるに唄を!


我々はやればできる子!