[沖縄]琉歌

  真夜中どぅやしが 夢に起くさりてぃ
  醒みてぃ恋しさや 無蔵が姿


こんな時間に目が醒めてしまった(3時40分)。
う〜ん、やっぱり睡眠障害なのかな。
カッツリ朝まで寝たいんだけどな。
いや、明日は午前中とくになにもないから
昼くらいまで寝たって罰は当たるまい。
しかし目が醒めてしまうのだ。
まさに上記の琉歌のごとし。
夢を見ていたわけではないが。


ちなみに音は


  「まよなかどぅやしが いみにうくさりてぃ
  さみてぃくいしさや んぞがしがた」
  ※「無蔵(んぞ)」=愛しいあなた(男が女性に対して言う場合)
  女性が男性を指して言う場合は「里(さとぅ)」


丁寧に訳までつけると


  「真夜中だというのに 夢に起こされてしまった。
  あなたの面影が恋しく思い出されて、寝付くことができないよ。」


みたいな感じ。


琉歌とは和歌の沖縄版みたいなもので
日本の和歌の「57577」に対して
琉歌は「8886」になる。
この言葉のリズムが、音にして言うといかにも沖縄らしいし
耳慣れするととても心地がよい。


多くの沖縄民謡が、この「8886」の字数によって成り立っていて
琉歌を多く知っていると即興でいろいろな歌にはめ込むことができるのが面白い。


  嘉利吉(かりゆし)ぬ遊(あし)び 打晴りてぃからや
  夜(ゆ)ぬ明きてぃ太陽(てぃだ)ぬ あがるまでぃん


これなんか実にさまざまな唄で使い回しされてるもんね。
唄に乗せてもとても“口心地”がよい。
「ああ、なんておめでたい夜なんだろう。
朝が来て太陽が昇るまで踊り明かそうじゃないか」
みたいな感じが実に良く出ていて
っていうか実際そんな宴会ざらにあるしな、沖縄・・・。


  恩納岳(うんなだき)あがた 里(さとぅ)が生まり島
  森(むい)ん押しぬきてぃ こがたなさな


  「恩納山の向こうにあるあなたの生まれた村を
  手前お森を押しやってこちに持ってきたいわ!」


沖縄の言葉=「うちなーぐち」は、奈良時代のいわゆる古日本語に近いのだそうです。
本土の言葉はかなりいろんな変化を遂げて現在に至っているが
沖縄の言葉は奈良時代以降ほとんど変化することなく
古日本語の原形を留めているんだとか。
だから言葉の響きにどこか懐かしいようなものを感じるのだろうか。
いや、これパッと聞いた人にはなにを言ってるんだか
さっぱりわからないのだろうと思うのだが。
じっさい沖縄に行って、バス停なんかでおじぃたちの会話聞いても
なに言ってるんだかわからないんだけど
ひとつひとつ分解してみると確かに日本語(やまとぅぐち)とルーツを同じにするものだし
そのなかに非常に日本(やまとぅ)的な古風さをたたえていたりする。


「めんそーれー」


沖縄の言葉で一番有名(?)なこの言葉が漢字を当てると


「面候れ」


になるというのを聞いた時
「なんでこんなにうちなーぐちに魅力を感じるのだろう?」
と常日頃から自問していた身としては
ハタッと手を打つ思いがしたのでありました。


(ちなみに「めんそーれー」は「いらっしゃい」。
「面」を「候う」つまり顔と顔をつき合わせて相対するの意。
明治維新による武士の消滅とともに絶滅してしまった「候う」
という言葉が、うちなーぐちの中ではまだ現役バリバリなのです。)


まあ、沖縄民謡をやっている動機なんかも
「ただ好き」でいいと思うんだけど
「なぜこんなに好きなのか?」
という自問は常にあるわけで。
「なるほど〜、○○○だから好きなのか〜。納得♪」
という答えを探してあれこれ考えてみたりする。
そのひとつが「うちなーぐちの言葉の響き」だったりするんけど。
そしてその理由をさらに考えてみると
「やまとぐちと源流を同じところに持つ」
ことが、自分の遺伝子の奥深くに刻まれた「遠い記憶」に響くのかも知れない。
それも「好き」であることの、ひとつの要素に過ぎないんだけどね。


そんなことよりも沖縄行きたいっすよ・・・。